発達障害


『発達障害』
こんな言葉を最近よく耳にしますが自分には関係ないと思っていませんか?
しかし、子供の頃から「自分は他の人とどこか違う」と思い悩み、生きにくさを感じて来たことはありませんか?
実は意外と誰でも多少のこんな特性は持っている可能性があります。これが酷くなれば社会で生き難く対人関係で苦労します。

こうした特性は幼少期から現れています。
成績が良く、問題行動も起こしたりしない人ほど気付かれにくく、大人になって初めて社会不適応が明らかになり、ようやく発達障害と判ったケースが多くみられます。

当事者の中には、子供の頃からこのように感じてきた人がいます。
発達障害であることが判明して、むしろホッとしたという人が少なくありません。

これを障害と捉えず、適応上の問題と捉え、その対処法を具体的に学び他者とのズレを認識することでスムーズで快適な社会生活を送ることが可能です。

発達障害の人だけに限らず、変化の激しい現代社会に不適応を感じている多くの人も個性を活かし、自分らしいライフスタイルを作り上げることが出来ます。

そんな思いを実現するために私はお手伝いが出来たらと思います。


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対人関係の悩み、あなたは如何ですか?


私の所に相談に来られる方で対人関係の悩みに、ある種の共通性が観られる方たちがいます。
そんな共通性とは以下のようなことです。身に覚えは有りませんか? あるいは周囲にこんな方は居ませんか?

小さい頃に親と視線を合わせない、また甘えたり抱っこをせがんだりしない、独り遊びが多く手がかからなかった。小学校にあがるようになっても友人が出来なかったり少なかったり、本人も独りぼっちでも寂しがらなかったり、むしろ独りで居ることが好きだったり。
親からみたら手の掛からない良い子(?)だったり。


そもそも独りが好きということは、大勢で居ると気遣いしたりして疲れてしまうことも多いようです。そんな貴方、対人関係は大丈夫ですか?


会社員になってから何か変? 疲れてしまう。
もしかして以下のような体験は有りませんか?
同僚との飲み会に参加して料理をぺろりと食べてしまい他の人が食べようと思う時、何もなかったとか。
人と話す時に顔を近づけ過ぎて嫌がられたり。むやみに大きな声で話してみたり。目上の人に馴れ馴れしく話したり。自分勝手と思われたり。待ち合わせの時間に毎回ルーズで遅れるのが当たり前とか。喋り出したら止まらないとか。


必要以上に他人に気を遣い過ぎて、すぐに「ごめんなさい」という人。やたらと丁寧な言葉使いの人。人に気遣いし過ぎて落ち着かない人。気遣いのあまりに怯えてしまう人。
逆に無頓着過ぎて気の利かない人、でも自分では一生懸命に気を遣っているつもりなのに、気が利かないなんて言われてしまったり。

会話の時に目が座っているようにジッと相手の目を見続ける人。
きっと本人は気付いていないでしょう。
もし対人関係での悩みが有るのなら、ちょっと考えてみてもいいかも。


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66年を振り返って-6


工業高校を卒業し地元の家電販売会社のサービス課に勤務が始まった。
社会人一年生で一人暮らし、何もかも初体験だった。
元々一人遊びをして育っていたので、実家を離れ一人暮らしは嫌でも、寂しくもなく、むしろ楽しかった。小さい頃から友人も少なく孤独を寂しく感じることは無かった。そういう育ち方をしたのだろうと思ったが、今になってみれば一人で居ることが好きだったといえる。世の中には友人が居なかったり家族が居なかったりすると耐えられないという人も居るが、逆に一人が一番好きという人も居る訳である。しかし、ここでちょっと考えてもよいだろう。もしかしたら、こういう一人が好きな人には生まれ付きの特別な精神的な何かを持っている場合もあるのだ。
相談に来られる人の中には、いわゆる「発達障害」という傾向を持っている人に「一人が好き」という人も多いと感じる。何かをするにも、誰かと一緒にするのは煩わしいとか思ったり、一人でするのが好き、という人で対人関係が苦手な人は、もしかして、そうなのかも知れない。
私は還暦過ぎる頃まで気付かなかったけれど「発達障害」であったと思う。
この「発達障害」が社会に出て、後に散々のシナリオの源であったと言える。

下宿の時には大家さんの家族が大変に煩わしかった。しかし、一軒家に引っ越してからは本当に一人になって、しみじみ一人暮らしに安らぎホッとした。

家電販売会社に勤務が始まり、直ぐに隣の席の先輩に虐められ始めた。
その先輩は私の隣に席に座っていては、私の一挙手一投足を観ていてはイチイチ文句を言い始めた。その時の先輩は、如何にも嫌なものを観るような目つきで眉間に皺を寄せて「その話し方は変だ」、「何でお前はそういう風なんだ」と云われるが、私には何の事を言っているのか皆目見当がつかない。

私はその先輩が嫌いではなかったし、仲良くしたいと思っていたので、先輩の気に入らないことを改めたいと思うのだが、私の何が悪いのか、何を改めれば良いのかサッパリ分からなかった。
そこである日私は先輩に聞いてみた。
「先輩、私。何かマズイですか? 何処を直せばいいですか?」
先輩は苦虫を噛み潰したような顔をしながら「お前、直せないだろう。いいよ」
「はあ?」

私は肯定して貰えたのかなと思ったが、先輩はその後も頻繁に苦虫を噛み潰した顔で「何だお前それは?」と云われ続けた。

「何だそれは?」と言われても何の事だからサッパリ?
だんだん私の気持ちは落ち込み始めた。
毎朝、会社に行ってその先輩の隣の席に座るのが恐ろしく嫌になっていった。
ついには家に帰っても先輩の苦虫を噛んだ顔が浮かぶようになった。
他の先輩に聞いてみたことも有った。
「先輩、俺どこか変ですか?」
「変じゃないよ、何故?」
「あっ、そうですか・・・」

他の先輩は何とも思っていないらしい、他の先輩は会社が終わった後に呑みに連れて行ってくれる人もいたくらいだ。
しかし、隣の苦虫を噛んだ先輩は、私の天敵になっていった。もう毎日がアレルギーに成りだし、その先輩を見るたびに私は過剰反応が起き出した。腹痛、冷や汗、動悸、下痢と始末は悪かった。

まだ入社半年の頃だった。
何とか苦虫先輩のところから逃れる算段は無いものかと苦慮していた矢先に、第一次オイルショックが始まり、会社は業績不振に陥り入社間もない連中に出向の希望を募りだした。

私の会社の出向は、取引先の家電販売店へ店員として出向することだった。

私は一番に手を上げた。
直ぐに希望は採用され、私は実家に近い家電販売店へ出向が決まった。

その販売店は、父ちゃん母ちゃん二人で営業してる田舎の電気屋さんだった。


<続く>


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ごめんなさい

歳を取ると一度にたくさんの事を処理するのに抜けやミスが出やすくなります。

鑑定のお申込みが一度に集中すると漏れが生じてご迷惑をお掛けしたりしています。もし、お申込みをされていても、こちらから返信などが無い場合は、申し訳有りませんが、今一度催促のご連絡頂けると幸いです。



たくさんの、お申込みが有っても漏れなど出ないようにシステムを構築はしていますが、受付段階でメモ書きなど忘れてしまうと、そのまま気付かないこともあります。

どうぞ、よろしくお願いします。

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最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士(仮)らしいですよ?〈3〉
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鑑定士と顔のない依頼人(字幕版)

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2018年、よろしくお願いします。



明けまして、おめでとうございます。
昨年は人生でも最高の年でした。占い業に成っても最高の結果が残せた一年でした。

それもその筈です。大限(10年運)の仕事運が中吉、財運は大吉+中凶、そこへ2017年の年運の仕事運は中吉+小凶、財運は大吉+中凶、結果的に仕事も多忙を極め、収入も人生で最高を極めました。しかし、財運に関しては凶も同宮という訳ですから、多く入りましたが多く出ていってもしまいました。では財の流出の原因はといいますと、田宅が中吉+大凶でした。
この田宅とは、マンション購入の借り入れへの返済で多くが流出しました。
また、奴僕宮(対人関係)は凶でしたが、「自分が変わることで対人関係は変われる」という法則を活かして、結果的には大吉という結果になりました。変えれえるシナリオも有るということを実際に体験させて戴いた1年でした。

本当に運の通りのシナリオでした。
運が良い時というのは、このように旨く行きます。
これまでのBlog記事でも時々書いて来ましたが、成功の陰には幸運が有る筈です。
でも、成功した時に「運なんて関係ない」って思っている人も多いのです。「自分の実力が素晴らしかったんだ」って思っている人も多いのも事実です。

財運に関しても、たとえ大吉でも中凶や大凶が一緒に廻っていると、多く入っても多くの出費ということにもなります。

神社の御神籤みたいに、一言で大吉といっても、何が大吉なのかです。
健康運は大吉でも財運が大凶なら如何でしょう。その逆も有りです。

全てが吉なら、これはもう最高です。
しかし、多くの人を鑑定して思うことは、財運や物質運、名誉運に恵まれて、外から見れば最高の幸せに観える人でも、実は家族運が最悪で兄弟姉妹とも縁が切れ、子供とも縁が薄く、自宅では独居なんていう場合も有ります。これに親友や人々の運が悪ければ、社会でも例え名誉職に就いていても孤独の寂しい人生を送ることさえ有ります。
でも、こういう場合、この人の価値観が物質や金銭のみに幸せを感じる人ならば、孤独であっても寂しいなどと思わないでしょうし、幸せそのものの人生を歩むのかも知れません。

でも、金銭物質に価値観をあまり持っていなくて、人との交流を望んでいる場合には、いくら富豪でも不幸を感じているでしょう。

私の昨年を振り返れば、金銭物質には恵まれたと思います。人の縁も素晴らしかったと感謝しています。そんな中でも人の縁は金銭物質には変えられないと、つくづく思う1年でした。

そんな出会に本当に感謝いたします。
今年は昨年戴いた大切な出会いに感謝し、その出会いの方々に尽くして行けるよう頑張りたいと思います。そして共に幸せを共有したいと思います。

よろしくお願い申し上げます。


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的中させるから、解決させるへ



先日のNHKニュースで、2018年は占いの需要が増えるらしいと、そして東南アジアなどでは、その需要に応えるように各地で占い教室が盛況で予約がいっぱいだそうです。
教室で学ぶ人の中には会社の経営戦略に活かそうという経営者も多いと伝えられていました。

日本でも、これから占いの需要は増えるのではと感じています。
やはり世界規模での政情不安、災害の増加、こうした時代背景が有ると思います。
医学も科学もまだまだ未解明の事が多い故に、理由は不明でも占い(特に命術)は科学・医学で未解明な事象もよく的中させています。

しかし、これまでの占いは、本当の意味では相談者さんの要望に答えきれていないと感じます。
よく相談者さんから耳にするのは、「吉凶は言い当てても、その凶意を無くしたり減らしたりする方法に付いてはイマイチ」というのです。
つまり、起こりそうな悪い出来事に関してズバリ言い切ることは有っても、それを避ける方法のアドバイスには欠けるというのです。

確かに、これまでの占いは悪い出来事(良いことも)に関して、自信の有る占い師さんはズバリ言い切りました。

私も20歳代に脱サラした当時、占い師さんにズバリ言い切られました。
「あなたは一生、何しても成功することは無いでしょう」、非常に厳しい鑑定にガッカリしてしまいました。私は「そう成らない為には、どうすればいいですか? 何が原因で成功出来ないですか?」すがる思いで占い師さんに尋ねました。

しかし、占い師さんの口からは、そうなる原因については聴くことは出来ませんでした。

その当時、何故、悪いことが起こることは判っても理由は判らないのだろうと思いました。
当時、私は脱サラをしたけれど厳しい現実に戸惑っていた最中でしたから、その鑑定には非常に落胆しました。
その理由は今に成ればある程度理解出来ます。

霊感占いならば、相談者さんの身の上に悪いことが起こっているイメージが観えるからでしょう。でも、すごい霊能者なら、その悪い出来事が起こる前のイメージも観えているのではと思うのです。残念ながら私は霊能者ではないので詳しいことは判りません。

一方で命術は一定の理論・法則に沿って分析する占いですから、霊感の有無に関係なく予測が可能です。更には、その理由に付いても「紫微斗数」は判るので、その理由も詳しくお伝え出来れば相談者さんの不安も軽くなりますし、努力によって避けることも可能な場合も少なくありません。
しかし、これまでの占いは、それに応えることは少なかったようです。
その理由とは何だったのでしょう?


鑑定時間が限られているから?
上から目線で、そこまでする必要性を感じなかった?
原因まで分析する能力に欠けていたから?
低料金だから?
単なる不親切?


理由は様々かも知れませんが、相談者さんの求めて居るのは、「悪いことが起こる」ことを知りたいだけではありません。
それは避けようの無いものならば「知りたくない」という人も少なくないのです。

原因が判って避ける方法も有るのならば、それを早く知って対処する方が得策です。
幸いなことに「紫微斗数」では、その原因も命盤に現れています。
ただ、その原因に成っていることを相談者さんが受け入れ、変えようとする努力が出来るかどうか、ということも重要です。

避けさせることは占い師には出来ません。座っていれば「全部やって貰える」なんて甘いものではありません。避けるのには相談者さん自身が行動しなければ成りません。

どのような行動をすれば良いのかということを占い師がアドバイスすれば良いと思います。
原因によっては、相談者自身が受け入れられない事もあります。
あるいは相談者さんが原因に成っていることをお伝えしても理解出来ない場合もあります。
こんな時には、カウンセリングの技術も必要と思います。

これまでの多くの占いは、鑑定結果を伝えるだけのものが多かったのではと思います。
医者なら診断だけして、「後は自分で治すか、何処かで治して貰いなさい」と言っているようなものです。
しかし、それでは不親切です。原因も分析出来ているのなら、解決方法もアドバイスして欲しいものです。不安なことだけ言い放って後は知らない。というのでは、私が20代に体験した不親切極まりない占い師と一緒です。

このような占い師は、これからの時代には淘汰されていってしまうのではと感じます。
占いの方法も時代と共に進化するべきです。


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66年を振り返って-5



県立工業高校電気科を何とか卒業し、いよいよ就職となったが、クラスの90%近くは県外への就職だった。大学への進学者は40人クラスの1~2人であった。
私は、みんな県外への就職を希望する中で唯一県内へ就職を希望した。その理由はあまりハッキリしたものは無かった。今になってみれば、私の命盤には「たとえ末っ子でも跡取りをする」ような宿命が託されていた、そのために無意識の内に県内希望を出し、家に残る選択をしていたとも言える。

高校卒業後の最初の勤務先は甲府市内に有る、大手家電販売会社、T社の山梨支店だった。
その会社のアフターサービスを担当するサービス課の部品管理であった。

甲府市内へ勤務することと成ったが、実家の明野町からは公共交通を利用したのでは2時間以上の通勤時間が掛かり、自家用車も無かったので、甲府市内へ住むことに成った。

住居は会社で探してくれた。
見付かった住まいはアパートでは無く、「下宿」であった。多分、今時「下宿」と聴いても何のことか判らない人も多いでしょう。辞書を調べて欲しい。
辞書を調べるのが面倒の人の為に簡単に「下宿」を説明する。
「下宿」とは、普通の民家などの家の一室を間借りすることである。
つまり、玄関もトイレなども、その家の住人と共有する場合も普通だ。
当然、毎日その家の住人家族と顔も合わせるし、アパートのように友人を自分の部屋に招き入れることも自由には出来ない。当時は「下宿」というのは結構一般的であったようだ。
今では考えられない賃貸の方法だ。

防犯上、現在では問題の多い方法だ。家主が留守でも家主の家に間借り人が自由に出入り出来るし、間借り人が施錠などを怠れば家主の部屋まで窃盗に遭う可能性だって有る。

もっと悪いことを考えれば、間借り人が信用ならない人間ならば家主のプライベートエリアにも簡単に侵入出来てしまう。また、その逆も有る。実際に私が会社に行っている間に家主の家族が私の部屋を覗いたことも有ったようだ。間借り人も家族も信頼関係が成り立っていないと問題が起こる。

やはり、私の場合も問題は起こった。家主は母子家庭で母と年頃の娘の二人家族。その二階に私が一部屋を借りた。会社が見付けて借りた部屋だが、私は当初困惑した。まったくのプライバシーが無いからだ。部屋に鍵が有る訳でもなく、玄関も一緒なので私の生活は丸見えだった。当然、1階の母子の生活も丸見えだ。
ただ、便利なこともある(?)。私が会社に行く時に二階の窓の外の、物干し竿に洗濯物一式を干して出かけて、夏の午後など夕立が有る時には、家主のお母さんか娘さんか、どちらかが私の部屋に立ち入り窓の外の洗濯物を取り込んでいてくれてるのだ。

私は会社に居て、夕立が有ると部屋の外の洗濯物のことが気になったが、夕方部屋に戻ってみれば、干して有った洗濯物が全てキチンと折り畳んで、私の部屋の片隅に置いてあった。下着までも。

私は、この洗濯物をお母さん、娘さん、いったいどっちが取り込んでくれたんだろうって恥ずかしくなったり、アットホームな感じで嬉しかったりの複雑な心境であった。うっかり女性ヌード写真雑誌など置いては置けない状況である。

当時でも集合式のアパートは有ったのに、会社は何故に下宿を選んだのか不思議だ。費用の関係なのか。
やがて、問題が起こった。といっても大したことではなかったが。

それは入居後半年したくらいの夏の日のことだった。
有る朝の土曜日、会社に出かける支度をしていたら、二階の私の部屋に一階に住んでいる家主のお母さんが登ってきて、私の部屋に来た。

お母さんは「今日、私は旅行で出かけてしまいます。帰って来るのは明日の夜ですので、娘が一人で留守番してますので、よろしくお願いします」と言った。

私は、「お母さんが留守中は娘が一人なので、防犯に協力して欲しい」と解釈した。
私は「はい、出かける時はシッカリ施錠します。何か有ったら娘さんに協力します」

お母さんは「よろしくお願いしますね」と言って階段を降りていった。

そして会社が終わり、私は下宿に帰ってきた。家は誰も居なく留守だった。
私は留守を任された気分でちょっと責任感を感じていた。

下宿の部屋で夕食を済ませ、部屋に寝っ転がってテレビを観ていた。
一階の玄関の開く音が「ガラガラ」と聞こえて来たので、私は急いで一階に降りる階段の所まで行ってみた。そこからは玄関が広く見下ろし眺められた。玄関の鍵を開けて入って居たのは娘さんと若い男性だった。二人の雰囲気からして恋人という感じだった。

私が二階から玄関を見下ろしているのに、娘さんは最初気付かなかったが、娘さんが見上げたら、私とパチンと目が合った。一瞬、娘さんは驚きの表情と「何よ!」という顔をした。
私はマズイものを観てしまったと思った。私は「お帰りなさい」と言って会釈をしながら部屋に戻った。そしてテレビを観て過ごしていた。

一階の二人は何をして過ごしたのかは気にも成らなかったが、深夜に玄関の戸が「ガラガラ」っと音がして開くのを感じた。布団の中で時計を観ると、午前2時半を過ぎていた。

気になった私は、そっと一階に降りる階段の所まで行って玄関を見下ろして観たら、彼を見送る娘さんの姿が玄関に有った。私の気配を感じたのか娘さんは直ぐに二階を見上げた。またしても娘さんと視線が衝突した。気まずくなった私は黙って部屋に戻り布団に入った。



それから1週間後、会社の総務部長から「宮崎くん、今住んでいる下宿を他へ代わって欲しいと大家さんから連絡が有ってね。会社で探したら別の住まいが有るんだけど、一緒に見に行って良かったら引っ越しして欲しいんだけど。引越し費用は会社が負担するので」、そう言われ新しい住まいを見に行った。

新しい住まいは2階建てで、一階と二階は別々の住居に成っていて、一家にはすでに若い夫婦が住んで居るようだった。私はその二階を観て引っ越しを決めた。

その新しい住居の周辺は、いわゆる歓楽街であった。バーやスナック、ピンクサロンも軒を連ねていた。18歳の青年が住むのには少し刺激の強い場所であった。

実際、引っ越して最初の夜から、薄暗く成りだして、軒を連ねるピンクサロンの店先には、超ミニのお姉さん達が細く長い脚を見せびらかしていた。


<続く>


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遷移宮が来因宮の人はご用心



紫微斗数の命盤には12の宮があります。
この12の宮の何処かが誰でも来因宮になります。
<欽天派 紫微斗数の特徴はこちら> http://miya-rithumei.com/kinnten_kaisetu.html

この来因宮が「遷移宮」の人は災難に注意です。
多くの方を鑑定して、お気の毒にと思うことが多いのです。

私の知り合いも遷移宮が「来因宮」ですが、特別に来因宮が悪い訳ではありませんが(命盤は少々波乱傾向)、幼少期から何かと嫌な目に遭ってきました。

その嫌な目、災難とは自分が直接的な原因には成っていないが、自分が関わったことで他人の災難に巻き込まれることが多いのです。
酷い時は最終責任を取らされる。ということも有ります。また様々な濡れ衣を着せられることも少なくないのです。

もう少し事例を挙げますと、ご夫婦で海外に渡航した際に、些細な事から奥様は当局に拘束される事態となり(些細な書類手続き上のミス)、パスポート没収、収監という事態にまで発展してしまいました。ご主人は無事に帰国出来ましたが、奥様は半年ほど当局に拘束されていました。

奥様は帰国後に紫微斗数で鑑定され、その結果は「来因宮」が遷移宮でした。
廻る大限(10年単位の運勢)と、1年運の外出運が大凶の時期でした。
その奥様は、その後の期間の夫妻宮(夫婦のことを観る宮)が大凶でした。
結果的に帰国後に、その外国での事件がきっかけになり離婚をされました。

その他にも来因宮が遷移宮の方たちに起こった災難の例を幾つか挙げますと、外出時の交通事故、町内会での様々な行事に参加するたびに嫌な問題に巻き込まれた。

人に親切にしたことが発端と成って、有りもしない噂を町内に広められ悪者扱いにされた。

他人の面倒を観たのが発端と成って事件に巻き込まれ冤罪で逮捕収監、挙句は裁判でも無実が立証されずに実刑判決となり、十数年の懲役刑に服し、服役後には社会的に抹殺され、社会の片隅で小さくなって生きる人生となった。

ある役所の責任有る地位の方が、積極的な社会活動に参加していたら、やはり他人の問題に巻き込まれ、地域の大きな社会問題にまで発展し新聞で実名報道までされて、汚名も着せられ社会の奈落に落とされた。

このように挙げた例は、ほんの少しのことですが、いずれも自分は直接の原因にはなって居なかったのに、大きな責任問題を背負わせれた一例です。

来因宮が「遷移宮」の方は、どうか外に出たら慎重な行動をお願いしたいです。



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ツレがうつになりまして。

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運命とは?


国語辞典で調べてみると。「物事の成り行きや人の身の上を支配し、人の意志で変えることも、予測することも出来ない力」、とされています。
と言うことは、やはり「運命」という不思議な力は、昔から世間で常識的に認められている訳です。この「運命」は、物事の成り行きも支配している訳です。人の人生に於ける身の上も支配し、結果的に人の一生を司る不思議な力です。
これと同じようなことを、あの有名な心理学者「ユング」も言っています。
「偶然の出来事は、偶然に起こるのではなく、必然的に起こる出来事である」と。

 世の中の誰もが、「何の因果もなく、たまたま起こった偶然の出来事で人生を大きく変えられてしまった出来事は、偶然に起こった事だった、だから運が悪かったんだ」などと言います。運の悪い出来事に、たまたま偶然に遭遇し人生を大きく変えられてしまった。だから運が悪かった?
奇妙な表現ですよね。運が良いとか、運が悪いとか、いつでも偶然に起こるのでしょうか?
ならば、一生運の悪い人、不幸な人って居ますよね。その人は、あまりにも偏った偶然が多すぎるじゃあ有りませんか?
逆に、一生平均的に幸せに暮らせて、人並みの人生を全う出来る人も、偶然に運の悪い事が少なかったのでしょうか?
 これって「不公平」ですよね。いわゆる「乱数表」という物を使って数字を出す方法が有りますが、これはムラのない偶然を作り出すシステムです。
なのに、実際のこの世は、ムラの多い偶然の集合体みたいなものですね。

「運命なんて決まっていない! 偶然の出来事だ!」と言い切る人も多いです。
それは、それで結構。

しかし、科学で解明できない事も、この世には百万と有ります。
人間の科学が解き明かした、この世の不思議は、全体から観れば、ほんの一握りの事です。科学者と言えども判らない事だらけなのがこの世です。

ここで、台湾の書籍から「運命」について面白い記述が有るので抜粋で掲載させて頂きます。

「参考文献 四柱推命大全  著者・鍾進添/訳注者・山道帰一」
(鍾序より)
『中国の前漢時代の言葉として「一に命、二に運、三に風水、四に陰徳、五に読書」というものがある。これは「命運」は1つの人生における「現象」であり、それは1つの「事実」に帰結する。という意味である』

分かりやすく解説します。
「命」とは生まれながらの天命、つまり生まれつきの人格。紫微斗数でいえば「命宮」に相当する。
「運」とは後天的に巡ってくる運勢のこと。紫微斗数で言えば、巡る年月の「流年運」のことである。
「風水」とは、人生を送る環境のことである。あるいは活動する地理地域のことである。
「陰徳」とは、人目には観えなくとも、世のため人のために尽くす行動のことである。
「読書」とは、学問、知識、教養を身につけることである。

これらを言い換えると、「一に生まれ持った素質。二に巡る運の良さ。三に周囲の環境。四に人徳、人に尽くす。五に学ぶこと」である。
つまり、人生の成否は「2/5は、生まれ持った運の良さが必要で有る。ということ、3/5が努力で有る」 こうしてみると、如何に生まれつきとは言え「運」の良さが人生を大きく左右するということである。もし大発展を望むなら、2/5の運の良さを備えていないと叶わぬ夢となる訳だ。
もう少し、著書から抜粋してみよう。
『古代において早くから気付きを得ている人がいた。
一生を通じてさえ、滅多にハッキリと物を言うことが無かった孔子が、「五十にして天命を知る」と言い、また「命を知らざれば、故に君子たること無き成り」 と語ったと・・・』
つまり、自分の天から与えられた宿命が理解出来たのは50歳になってからだと。また、自分の天命、宿命を知らなければ君子(徳の高いりっぱな人)に成ることは無い、という意味で有る。
著書には、面白い例が記述されている。以下はその抜粋であるが、分かりやすく記述した。

『古代中国の名宰相(今で言う総理大臣のような存在)になった人物、呂蒙正が語った言葉として、「文章が世に抜きん出ていても、孔子は陳邦において困難に出くわし、武略に抜きん出ていても太公望は池で釣りをして生活した。
顔回は短命であったが、決して凶悪の徒に非ず。盗跖(古代中国の大盗賊)は長生きしたが、善良な輩で有ったろうか?
曉帝は聖人であるが、不肖(才能がなく、愚かである)の子を産み、瞽そうは頑固で愚かであったが、この上ない孝行の子を産んだ。
張良は最初庶民だったが、大臣になった。
孔明は鶏も縛る力が無かったが、軍師となった。
李廣は寅をも射るが、年老いても大名の土地さえも得られなかった。
漢王は軟弱であったが、万里、江河を掌握した。

先に貧有れば、後に富が有り、老いて盛り上がれば、若くして衰有り。
若い美女が、愚かな夫に嫁ぐ、秀才な夫に反して俗的な醜女の嫁に妻合わせられる。
遊郭の芸姑、時が来て嫁入りし婦人と成り、院宮深くの美女、運が去りて娼婦と成る。
学が無く才能が無くても、若くして試験に合格する人が居る一方で、才能豊かでも白髪に成るまで試験に合格出来ない者も居た。
英雄や豪傑でも、未だ運に逢わざれば、魚やスッポンのように身を潜めるしかない。
君子も失時(活躍のチャンスを失う)すれば、小人(人格の低い人)の下で下男を努めなければならない。
時期が未だ到らなければ、慎んで分を守り安心するが良い。心を欺かないならば、栄華ある日が定められる。

天-時を得ずば、日月は明けず。
地-時を得ずば、万物は生じず。
水-時を得ずば、風波は平らにならず。
人-時を得ずば、幸運は通わず。

(中略)

今日の社会においても、突出した才知が有り、才知に加え努力も決して怠ることが無い人達が、結果として一生、志を得ることも結果を出すこともなく終わってしまう。あるいは事業も旨くいかず、人の下に屈し続けている、実に多くの才知が有り、努力もしている人たちがいる。
これに反して、才知に長ける訳でもなく、いたって凡庸な人が、単に運気が大変素晴らしいために、富めるだけでなく、その人の部下には幾人もの秀才が居る。これは事実である。
そして、このような現象は、「命運」に帰結するより他に合理的な解釈が思い浮かばない。

「鍾進添 著書より抜粋」

「命運」とは不可思議なものなり、「命運」が憑かなければ努力すらも実らないものなり、
この不可思議な「命運」を解き明かし、「命運」に添った生き方をすることこそ、天の理の添った生き方と思う次第なり。

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試される人→選ばれた人



これまでに紫微斗数で鑑定させて戴いてきて、ふと感じたことが有りました。
簡単に言ってしまえば「凄い命盤の方」です。何が凄いのかと言えば、一つの宮に欽天派で言う「必定」つまり「絶対」が三個以上入る人です。もちろん「自化」も三個入ります。6000有余人鑑定して、記憶に有るだけでも数人です。そうですねえ、6~8人ぐらいかな、もっと多いかも知れませんが、記憶に残っているのは、それくらいです。記憶に残っている6~7人は特別な人って感じます。最高なのは「絶対が一つの宮に4個」という方もいらっしゃいました。

これまでの鑑定で一つの宮に「絶対+自化が三個」は、人生の何処かで散々の酷い目に何度か遭う方が多く、その出来事は「絶対」が存在する宮にもよって違いはありますが、対人関係や健康問題、金銭や財産的な事など、その宮が廻る運勢の何処の宮に成るかで様々な事が起こるようです。

そのように同じ宮に「絶対」が数多い方は短命であったり、人生の途中で病床に臥せってしまったり、あるいは再起不能のように奈落に落ちてしまったりすることも少なく有りません。

しかしですね。この最悪の状況を耐えしのいで抜けた方は、特別な精神状態に成られる方が多いとも感じます。そんな時に、それらの方々は何らかの啓示のようなものを様々な形で受け取られていました。その後の人生は、それまでの人生とは全く別な方向、あるいは別人のように生きられ始めるのです。

人生波乱多く最悪の状態にさらされるような特別の命盤の方は、「何かをするために試されて」いるのではと感じました。その試験にパス出来ない人は、あちらに帰っていったり、寝たきりになってみたり、奈落に落ちて世間から姿を消したような生き方をされたりと、なってしまうようですが、その激しい試練を越えた方は「啓示」のような事に気付き、まったくそれまでの人生観と異なった思考になり、別人のような生き方が始まるのです。

これまでの鑑定でも、それは少数派ですが、世俗から離脱したような人生観になり「世のため人の為」に人生を歩み始められています。
そういう場合、不思議な事にそれまでの波乱波乱、試練試練の人生から逆に何かに後押しをされ好転し始める場合も少なくありません。

チャンスにも恵まれる人も少なく有りません。またそれまでは対人関係でも悪い関係が多かったのに、人にも恵まれるようになります。同じような賛同者や協力者も現れることも少なく有りません。


私が思うに、そのような人は、ある意味「選ばれた人で試されている」と感じます。
選ばれ、試され、越えられた人は、特別な存在として生きて行くのではと感じました。


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66年を振り返って-4



中学校に入ってからは、学級数も1クラスから2クラスに増えて、小学校の同級生は全村統一の中学校になり、3つの小学校が1つの中学校に統合となって、小学校時代の同級生はバラバラになり、みんな部活に参加したので、何にも部活に参加しなかった私は、学校の帰りは一人になった。

さらに中学校は小学校の三倍の遠距離となり、片道徒歩で1時間ほどになった。
親友も居なく成り、学校生活は独りの時間が多かった。したがって中学校時代の記憶はあまり無い。
唯一、覚えているなら美術の先生がヤクザ風の風貌の先生で、何かあれば拳骨かピンタが飛んだのを覚えている。凄いのは女子生徒にもピンタが飛ぶのは名物だった。しかし美術の先生にピンタを貰った女性生徒は人生の記念になったのだはないかな。まあ、私も何回が拳骨を戴いたけれど。
怖い先生だったが、どこかカッコ良かった。同時は弱虫の私は憧れて居た所があった。

また、今は楽器演奏や唄を歌うのは好きなのだが、当時の音楽の授業の唱歌の練習では、音楽の先生が生徒一人ずつに先生の弾くピアノに合わせて歌う時間があった。その時、私の順番になって、先生がピアノで前奏を弾き、私が第一声を発声すると、先生はピタッとピアノを停めて「はい、宮崎くん席に戻って」と、「あれ!、何で~?」と私は理解出来なかった、でもすぐに先生の意志が理解できた。超音痴で先生の指導意欲を壊失させたからだ。それ以来、音楽も大嫌いになった。高校は音楽の無い学科に行こうと決めた。なのに大人になったら楽器の演奏であっちこっち訪問していたのだから、人生は不思議。


中学校から高校に進学は苦労した。勉強は嫌いだったし、特に数学、英語はチンプンカンプン。
中学校の担任の先生も深刻な顔をしていた。当時の「官禄」の運勢は中吉なのに学校の成績は振るわなかった。とても入学試験には合格できないと半分諦めていた。しかし運勢とは有り難いものだ、解答用紙の記入はメチャ自信がなく絶対に不合格と自信が有ったのに、結果的に合格だった。


高校は工業高校の電気科だった。本当は電子系に入りたかったが学区内には電子科の工業高校は無く、学区外に県立の電子科が有ったが、相当の成績でないと入学は難しかった。

電気科の授業は、変電所設備や発電所、送電技術、どうみても東京電力の科目ばかり。

では、なぜ電子科が希望かといえば、ラジオや無線通信といった機器に非常に当時は興味が有ったからだ。電気科は嫌いだった。それはいわゆる「空中土方(土方とは土建業を揶揄した言葉かも)」と電気科の同級生は言っていた。空中土方は電気科の卒業先輩たちが、率先して就職先に選んだのが「東京電力」だったからだ。当時の私の常識としては、東京電力といえば、電柱に腰道具を下げて登っていく印象を強く持っていた。また電線にぶら下がっているサーカスみたいなの想像していた。地面に穴を掘り電柱立てたり、どうみても「土方」だった。

しかし、その認識は誤っていた。東京電力の社員は滅多に穴を放ったり、電柱に登ったりしないのだ。そういう作業は東京電力の下請け企業の担当だったのだ。卒業した後に東京電力に入社した同級生を観たらネクタイ締めていたので驚いた。

高校時代の成績は相変わらず悲惨だった。好きな科目は100点が取れるほどだったのに、嫌いな科目は20点も取れれば最高だった。好きな科目は電子系と電気実習だった。他はすべて嫌い。
期末試験では必数科目の単位を落として追試を受けていた。その追試も不合格は年中有った。
このままじゃあ、卒業も出来ないと先生に脅されていた。


<続く>


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何かが凶なら、裏を取ることも大切



鑑定相談で財運が凶の時期が、この先廻ります。という場合、普通は官禄(仕事運)も凶という場合はよく有ることです。特に自営の人の場合は一般的です。

また、この先の時期に子女宮(子供運)が大凶に成る時期が有る場合には、鑑定時には同じ時期の財運や精神面(福徳)、家庭(田宅)なども合わせて診るようにしています。

これは警察の捜査じゃありませんけど、「裏を取る」ためです。

子女運が大凶なので子供のこと(生徒や後輩のこと)で困ることが起こるのか? と診るだけではイマイチ確信が持てません。そのために裏を取るのです。

警察の捜査に「聞き込み」が有りますが、その確証を得るために証言内容が正しいのか別の情報と照らし合わせるのと一緒です。

子女運が悪いなら、もし自分の子供のことなら、家庭での問題や、親の精神状態にも影響することなのかを知れば状況が解りやすくなります。

もし後輩(これも子女)のことなら、仕事や学業に影響が出るのかどうか官禄(仕事&学業)の吉凶を診て置くのも良いかも知れません。

夫妻宮が大凶に成るのなら、本人の命盤なら離婚か配偶者の怪我や病気、あるいは配偶者が何かのトラブルに巻き込まれるのかも知れません。単なる夫婦関係の悪化で離婚にまで発展するのなら、田宅(家庭・離婚に伴う財産分与)や財運(慰謝料)といったことも想定して命盤を観るのも大いに参考になります。

一番手っ取り早いのは配偶者の命盤を診れば一目瞭然です。
夫婦間の溝や不仲が原因で離婚なら双方の夫妻宮が凶の時期ですから。
仮に奥さんの夫妻のみ凶で旦那さんの夫妻は平運なら、離婚には成りにくいです。凶になっている奥さんが旦那に対して嫌になっているだけで、離婚したくても旦那は離婚届に印鑑を押してくれないでしょう。

出会いに関しても同じことが云えます。
出会った(付き合い出した)時期には夫妻が吉になっていることが一般的です。双方が吉なら相思相愛の場合です。これも一般的、よく見かけるパターンです。

稀に旦那さんの方は吉なのに、奥さんは平運だったり(桃花星は廻っている)した場合に、当時の恋愛感情をお聞きすれば、旦那さんが夢中になって一生懸命アプローチしてくれたそうです。一方の奥さんは、それほど燃え上がった訳ではなく、一生懸命に成ってくれるので、まあ結婚したら面倒を診てくれるのかなって求愛を受け入れたという例は多いんです。

鑑定は単なる相談者さんへ一方的に鑑定結果を伝える場ではなく、相談者さんから貴重な情報を得る場でもあります。その貴重な情報と命盤を照合することで更に鑑定精度は増して行きます。

鑑定人数が多ければ多いほど情報の倉庫はいっぱいに成っていきます。

これが個人鑑定業の旨味でも有ります。もしこれが日々人数を消化するため、ノルマを課せられてる会社組織の占い業でしたら、そんな時間を持てないでしょう。


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66年を振り返って-3



小学校は自宅から子供の足で、徒歩30~40分ぐらいのところだった。
私の生まれ育ったところは、60~80戸ぐらいの家が集まった集落が、まるで蟻の巣の部屋のように固まって、あちらこちらに存在するような状態で、隣の集落へはちょっとした山や田畑を越えて一本道で繋がっている状態だった。
現在の街や集落は、集落と集落の間にも家が立ち並び、その境目は標識でも無ければ分からないことが多い。そんな現在の様子とはだいぶ違っていた。

私が通っていた頃の小学校への道中は、部落を外れるとちょとした山が有り、その山の急坂を登って行き、登りきった所から平らになり、その大地にまた部落が有った。
小学校の記憶で今も残っているのは、私の部落を外れた急坂の山の中で遊んだことだ。
小学校4年生の頃だったと思う。学校に通うのも飽きて、授業も嫌だったし、そんなある日やや遅めに家を出た私は、その山道の登りに差し掛かった。もう投稿する児童は誰も居ない、すでに学校に行ってしまった後だ。「俺は遅刻だなあ・・・」と嫌々道を登り始めて居たら、何やら山の中の木の枝がザワザワして誰かの声が聴こえる。不思議に思って山の上の方の様子を伺っていると、誰か私の名前を呼ぶ声が山の中から聞こえてくる。その声に呼ばれてヤブの中に分け入って行くと、なんと同級生の篠原が木の上に登って手なが猿のように枝を揺すっているのだ。

「篠原、お前は何やってるだぁ?」
「孝宏ちゃん、俺は昨日もここで一日遊んでいた」
「え~っ、学校へは行ってないだけ?」
「誰も知らないよ」

そんなで、私もその山で一日を過ごすことになった。
しかし、次の日も、その山で過ごし、結局は3~4日は登校時に山に入り二人で夕方の下校時まで過ごした。5日目のお昼頃、二人は木の枝にぶら下がり、キャッキャと騒いでいた。
と、突然山の下から女の人の叫ぶ声が聞こえた。山の下の道からだった。
「あんた達、そこで何をしているの?」

篠原は「誰だ?」
二人は声を潜め動きを停めた。

やがて、藪をかき分け誰かが山の中に入ってきた。
「あんた達、何で学校に来ないの?!」

小学校の担任の先生だった。
「あんた達、ずっと毎日ここで遊んでいたの?」
私は木を降りて上目遣いで頭を下げ頷いた。

「まったく困ったもんだねえ、あんた達の家に行ったら、お母さんは毎日うちの子供は学校に行っていて、夕方には帰ってきていたって言うから、いったい何処へ行っちまったのかと、先生はもの凄く心配していたんだよ」

私と篠原は木から降りて二人並んで頭を下げていた。
「さあ、今から、あんた達の家に一緒に行こう」

私は先生と自分の家に行った。母親が家に居て、先生から事情の説明を聞いた。
母は大して驚くでもなく「あら、そうだったんですか、先生に心配をかけてしまったねえ」

篠原が自分の家で、どれくらいお咎めを受けたかは知らないが、私は先生が帰った後も母はべつに怒ることもなく、「山の中は楽しかったかい?」と聞いてきた。
「うん、毎日面白かった」
「でも、もう辞めておくれよ」
私は頷いた。



<続く>


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沖田真早美全曲集~落花繚乱~
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これからの占い

これからの占い

私は、この世界に入って日が浅い…
そして、この世界に余り興味も無かったし縁も無かったといえる。
波乱の人生で人の何倍もよい経験をさせて戴いたと、今は感謝が出来るようになったが。

何かの祟か? と思うほどの若年期、中年期の人生で、30歳代に高島易断という名称を名乗る、占い団体の山梨甲府市のホテルでの出張鑑定に親父に連れて行って貰った時、そして同じ年代に友人が連れてきてくれた「霊能者」という占い師に診て貰った以外には、自主的に占い師を訪ねることは無かった。

いずれの占い師も、今となれば大外れである。
「あなたは何をしても一生成功することは有り得ない」と断言した霊能者。
「100万円で直ぐにお祓い祈祷しないとあなたは今年中に死ぬ」といった占い団体。

出鱈目だけならよいが、まだ30歳になったばかりの青年の人生に強い失意失望を与えてしまうような鑑定は許されない。

私は、この世界に入った人間としては「異業種参入」かもしれない、占い師さんの看板を見れば「幼少期から占術の家庭環境に・・・」とか、「鑑定歴30年・・・」とか、そのような環境には全く縁の無い世界からの参入だった。しかし、この世界に入って強く感じたことは、鑑定歴の永い割には、私が30歳代に味わったことが今も続いているということを実感した。

30歳代には、本当に藁にもすがる思いで占いに行ったのに、崖から突き落とすようなアドバイスには以後、占いなどは出鱈目詐欺と思うようになっていた。

そんな詐欺のような世界に異業種から参入の私にもびっくりだ。
私は先祖代々の占い師の家系でもなく、幼少期から占いに親しんだ環境も皆無で、電子関係の技術者を目指していた。非科学的なものなど当時は信じられなかった。親父が言うから行ったけれど、結果は腹立たしいものだった。「何をしても絶対成功しない」とは、いったいどういうことか。では、どうしたら良いのか? これへのアドバイスは一切無かった。
こんな事で大金を搾取するとは許せなかった。
このような記事を書くのは、紫微斗数の命宮に「生年化権星」が有るからだろう。そして「自化B」も同宮で、余計な主張で自分から試練を招くのだ。


しかし、あれから30年有余過ぎ、私はこんな世界で生計を立てていることに成ってしまった。
しかしだ、30歳代に味わった悪行ともいえることは絶対にしては成らないと、この世界に入った、その志は今でも変わらない。
命術で、その人の人生のシナリオは観える。吉凶も判る。でも、「凶だから残念ですね」とだけは伝えられない。「何故に凶なのか?」を常に知ろうとしたい、そのためには自分の嫌な人生は参考になる。同じ試練に晒されている人を何とかしてあげたい、そんな思いが今の自分を支えているのだなあって、最近実感するようになった。

これから世の中は益々不確実化して行くだろう、それ故に「占い」というものの需要は確実に増えるような気がする。しかし、ただ「吉凶」を伝えるものは淘汰されて行くようにも思う。
診断だけではもう時代遅れと思う、じっくり相談者さんと向き合い共に解決に向けて試行錯誤して行く時代と思っている。もっともパフォーマーとしての占いは有ってもいいのではないか、この二極化するのかも知れない。

不思議な縁は大切にして行きたい。


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66年を振り返って-2



私のこれまでの人生を振り返って、どのような出来事がいつ起こったのか、命盤と照らし合わせると面白いだろうと思います。

幼少期や就学前のことに関しては、母や父の記録の記事に折込み書いてみました。
ここからは、小学校、中学校、高校の時期を振り返って記憶に有る印象的な出来事を書きます。


初めて小学校に入学した当時のことで記憶に有るのは、初めての授業が楽しかったことだった、ところが小学校3~4年生に成る頃には授業に就いて行けなくなっていた。何故か授業中に大人しく席に座って先生の説明する授業に集中出来なく、回りの生徒や教室の窓の外のことに意識が向いてしまい、先生に再三の注意を受けるようになってしまい、宮崎くんは「首ふり人形」と先生にあだ名を着けられた。その内に席に座って周囲をキョロキョロするだけでは収まらなくなり、席を立ち歩き回るようになってしまい、授業に支障が出て困った先生は、私の腰に紐を結び廊下に出る教室の出口の柱に犬のように繋がれて授業を進めるようになった。その間、私は授業などまったく聴いていなくて、何を考えていたのか覚えていないが、廊下を紐の届く範囲でウロウロしていた記憶がある。
授業はまったく面白くなく、毎日の学校生活が退屈で仕方なかった。
唯一、その当時の楽しかった授業科目は理科と図工や技術家庭科だった。理科は野山の花や天気など私にとっては日常に有る物なのに、考えてみると不思議なものを教えてくれる学問だった。図工や技術家庭科はじっと席に座っていなくても、動き回れて何かを作ることに楽しみと興味を覚えた。

この頃から、好きな科目と嫌いな科目にハッキリと成績の差が現れるようになった。
ただ、動き回るのは大好きだったが、走ることは鈍いし、骨と皮だけぐらいにやせ細って青白かったので筋力もなく、体育は大嫌いだった。元々生まれた時に未熟児のような状態だったので、運動系は大嫌い、でも野山を走り回ったりするのは大好きだった。家の周りは里山が広がっていたので、山に住んでいるようなものだから、四季折々に野山で遊ぶことに不自由は無かった、春には花々が咲き、その花の構造に興味を惹かれた。秋にはどんぐりや面白い形をした木の葉に飽きることはなかった。

また通信表には常に「虚弱体質、極めて消極的」と書かれたが、野山を駆け回って「漆の木の汁」に触れても決してかぶれる事もなく、ヤマツツジの花を食べても、川の生水を飲んでも腹を壊す訳でもなく、極めて健康的でアレルギーとは無縁の子供だった。また、山の木の枝に登ったり、ぶら下がったりして遊んで居るのに、体育の鉄棒はまったく駄目、走ればいつもビリ、体育は大嫌いだった。

体育が大嫌いな理由にはもう一つの理由が有った。それは私の身体が骸骨のようにやせ細っていたからだ。しかも足の形状はO脚で足を揃えても両膝の間には握りこぶしが入るほどの隙間が出来て、何とも格好悪く半ズボンは真夏でさえ履いたことが無かった、しかし、体育や運動会には嫌でも白のトランクスになので、その恥ずかしさで競技や演技どころではなかった。体育祭が近づくと学校に行くのも嫌になっていた。体育の日が大雨になるのを常に願っていたのだ。

私の命盤の「疾厄宮」は生まれながらの健康問題や生涯の健康状態を診る宮だが、状況は悪いのである。つまり生まれながらの健康ハンディを示している。
今でだから分かった様々な未熟な身体構造は、第5腰椎の欠損(生まれつきの第5腰椎分離症)、後に第5腰椎分離すべり症となる。肋骨の形状がお椀のように凹んでいる「漏斗胸」で肺活量が同級生に比べて極めて少なく運動能力に支障が出た。上半身を露出することに極めて嫌な思いをした。
手足の関節が弱く、直ぐに関節の故障を引き起こした。手首が人より細いのを恥ずかしく思った。腕時計も普通サイズではズルズル定まらなかった。
40歳代で治療法も原因も判らない「ヘバーデン変形結節症」を両手に発症、楽器演奏で収入を得ていた時だったから、人生お先真っ暗の挫折感を味わった。

骨格の異常が多いなど、成長とともに判明して来るのだが、そんなことは知らない私は成人してからも重労働等をして無理をしては多くの故障に遭遇した。

このように、身体を人目に曝すこと、肌を露出することを異常に嫌がった私は、そのような理由からも消極的になっていったと感じる。自分の身体の見た目が同級生とは違うことに負い目を感じるようになっていったのだ。


<続く>


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66年を振り返って-1



私の記憶は、不思議だけれど多分、生後数ヶ月(10ヶ月以内)と思う。それは母親から授乳をされている様子を昨日のように覚えているからだ。母親の乳房に吸い付いてる記憶が、鮮明に残っている。
こんな幼少期の記憶が有る人は他には居ないのだろうと思っていたら、先日50歳代の男性の対面鑑定で私と同じように乳児期の記憶を持っている方と遭遇した。その方も私と同じく、母親の乳房を吸っている記憶が有ったのだ。実はその方は今で言う「アスペルガー」でしたが、私の幼少期の記憶をたどれば、やはり発達障害そのものだった。

最近にわかに「発達障害」という言葉を聞くようになった。しかし、このような障害は今に始まった訳では無かったのだ、大昔から有ったけれど、当時は誰もそのようなことは知らなかっただけなのだ。

アインシュタインもモーツアルトも発達障害の持ち主だったのではと思う。

発達障害に関しての解説は以下のサイトをご覧頂ければ詳しく解説されています。
< https://h-navi.jp/column/article/175 >リタリコ発達ナビ

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私の紫微斗数の命盤です。最近は「発達障害」などを持っている方は命盤を、私は診ると判るようになってきました。命盤には、このような特異性が現れています。

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予定の変更や初めての場所などに苦痛を感じる、普段は出来ていることが、場所が変わると出来ないなど。このため、会社勤務では、その日行ってみないと仕事内容がハッキリしない職種には苦痛が多く強いストレスを蓄積した。

■強いこだわりを持つ
興味を持つことに対して、同じ質問を何度もすることが多いです。また、日常生活においても様々なこだわりを持つことが多いので、ものごとの手順が変わると混乱してしまうことが多いです。

■集団になじむのが難しい
年齢相応の友人関係がない(基本的に親友は居ない)ことが多いです。周囲にあまり配慮せずに、自分が好きなことを好きなようにしてしまう子が多い傾向があります。人と関わるときは何かして欲しいことがある時なだけのことが多く、基本1人遊びを好みます。人の気持ちや意図を汲み取ることを苦手とする子も多いです。
幼少期から高校生まで友人は居なくて一人で家で過ごすことが普通で苦痛ではなく、楽しかった。

■臨機応変に対応するのが苦手
きちんと決められたルールを好む子が多いです。言われたことを場面に応じて対応させることが苦手な傾向にあります。(占い師になってからは、どんな鑑定でも慌てることは無くなったが、飛び込み鑑定依頼には不快感が強い、自分のペースを乱されるから)

■興味のあるものにはとことん没頭する
広汎性発達障害の子は上でも述べたように物事に強いこだわりをもっています。そのため、興味のあることにとことん没頭することが多いですし、その分野で大きな成果をあげられることもあります。
(この特性は紫微斗数に大いに発揮されていると実感している)

文章を理解できるが、書き写すことが困難(書字表出障害)
鏡文字(反転した文字)になる。自分で書いた文字が読めない。
(鏡文字が書けるなど得意、普段は右利きだが左手で文字を書くと鏡文字になる)

左利き、右利きを併せ持っている(両利きである)したがって、ギターなどの楽器で左手を観なくても弾けるという便利さはあった。洋食を食べる時にナイフとフォークは楽である。箸も左右どちらでも使える。何かする時に左手を使うことは多いが、右利きでもある。

聴覚過敏が有るお陰で楽器の僅かなチューニング(音程)のズレが判る(不快でもある)
多数の楽器の中の誰かのチューニングがずれていると気付き、不快に思う。
オーケストラの演奏で多くの楽器が鳴っていても、それぞれの音色を楽しむことが出来ることは有り難い。合奏は苦手、人に合わせることが出来ないから。

数の概念が身につかず、数系列の規則性などが困難
数字の大小や10以下の概念が分からない。繰り上りの計算(短期記憶の欠如)や文章題が解けない。
私にとって電卓は必須のアイテムだ。
占い鑑定時に命盤の内容をスラスラ解読して行くが、記録を取っていないと自分で言ったことを覚えていない。まるで霊媒師の口から出る霊の言葉のよう!?
なので、相談者さんには録音かメモを取って貰うようにしています。

落ち着きがなく注意を持続する事が難しい、または困難である。
授業中立ち歩く、または途中でどこかに行ってしまう。
(現在は、症状は自然消失しているが、小学生時代には授業の支障になるので教室の柱に紐でつながれていた、そのため当時に学習するべきことは学んでいなくて、今でも漢字の書き順は出鱈目、算数は加減算ぐらいしか理解出来ず、分数も平方根もチンプンカンプン)

手書きで文章を書くことは最も苦手、パソコンなどのキーボードでの入力は手書き以上に早い、速記をするような感覚で出来る。文字は下手糞で幼稚園生のような文字なので、公のものに名前などを書く時は困っている。

事前によく考えて行動できない。物事をぱっと見で判断してしまい、うっかりミスをしてしまうことがよくある。なのに、占いの時は一変して、超真剣になるから不思議。アスペの成せる技なのか・・・


以上のような特性を幼少期に持っていて、成人してからも、これらの特性は持ち続けた。
ただ、年齢とともに自然消滅していった特性も多い。

このような特性は現在では「発達障害」として認知されるようになったが、本人もこのことに気付いていないことは非常に多いと思う。まして周囲の人間や家族も気づかず、単に言うことを聞かない「悪たれ小僧」と認識されているようだ。


私の人生は、このような事が基本になってスタートしていたのだと、今になって思う。
「引き寄せ効果」なのか、私の所には、このような相談も多い。


<続く>


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父の人生 ③



私は高等学校を卒業して一年ほど実家を離れて下宿生活をした後に、次男が買ってくれた乗用車で実家から通勤するようになった。
しかし、あまり家の農業は手伝うことは無く遊び歩いていた。
そして、20歳前に職場で出会った女性と出会い、奇妙な交際が始まった。
奇妙な交際というのは、当時は奇妙とは感じなかったが、後に友人などから「お前の彼女は何か変だぞ」なんて言われ始めて「そうかなあ?」とあまり不思議には思わなかった。

しかし、奇妙なことが直ぐに現実になった。交際数ヶ月で彼女の両親から「結婚を前提に付き合って来れなければ、何処か他に嫁にださなければならん、もし結婚を前提なら、取り敢えず結納だけでも交わして欲しい、それを孝宏さんの両親と相談して返事をくれ」というのだ。

全くの女性遍歴のない尻の青い私にとっては、嬉しいような、まだ遊んでいたいし、ちょっと複雑な心境だった。
しかし、父親は「今は田舎には嫁の無い時代だ、それは有り難い話だ」というのです。
私は「そんなこと言ったって、俺には貯金なんて一銭も無いし、だいいち20歳で結婚なんて変だよ」
「いやあ、長生も(父の連れ子の長男のこと)結婚相手が見付からんで苦労した、金はお父さんが出すから結納の話を進めると彼女の親に言ってくれ」
と、こんな感じで彼女も私も関係の無いところで結納が進み結婚式まで漕ぎ着けてしまった。
友人が「お前の彼女の家は変だ」というのも、其後に成れば意味が分かったのだったが。

結婚して私は実家を出てアパート暮らしとなって、実家とは益々縁が遠くなっていった。


私のことは、またの機会に書くとしよう。ここでは、実家の両親のことについて書く。

それから3年後、父は農繁期には、会社の休みの日には農業を手伝って欲しいと連絡が来るようになった。

父が一生懸命に面倒を観てきた長男などの子供たち全員が実家を離れ寄り付こうとしなかった。その結果、幼少期には冷たく無視し続けてきた父親なのだが、この私が唯一頼りに成りだしたのだろう。
幼少期の頃の冷たさは無くなり、少しは穏やかな表情が観えるようになった父だった。
私も冷たくされていたといっても、優しくされる父に何処か欠けていたものが補われる思いがした。

そんなことから、土日などの休みの農繁期には稲作の田んぼを耕運機で耕す、田植え機で田植えをする、稲刈り機で稲を刈るなど、農業機械を使う作業はすべて私が行うようになった。

もっとも、最初は父が耕運機で耕し、田植えと借り入れは手作業行っていたのを、私が手伝う事が多かった。しかし、手作業ほど辛い農作業は無いのだ。田植えなんて直ぐに腰が痛くなり、翌日の会社勤務にも差し支えるほどであった。稲刈りも同様である。

もう私が手伝うことは常態化していた。これはとても敵わんと思い、ボーナスを叩いて田植え機と稲刈り機を父に買ってやった。

ところが、精密な大工仕事はする割には農業機械にはまったくの機械音痴である。
仕方ないので私が機械での作業は全て行うことにした。苗を育てるための籾蒔き、耕耘、田植え、刈り取り、脱穀と機械化出来るものはすべて揃えてやった。そして機械音痴の父に変わり私が一手に引き受けた。その代わり機械で出来ない所は父にすべて任せた。といっても母の負担も多かったのではと思う。


稲作の間には、玉ねぎ、レタスと農業は冬以外には暇無しである。出荷の際には軽トラックで私が運んでやった。後の作業は父が母を怒りながら作業していた。


私は結婚当時、一文無しであった故に、結婚のための結納金や結婚式の費用一切を父に出して貰った手前、農業は手伝わざるを得なかった。


会社勤務も5年ほどになると給与も上がり、会社の出荷製品の不具合も幸いな事(?)に多く、品質管理の担当者の私にとっては残業や調査謝罪の出張も多く、本給よりも手当の方が上回っていたから、農業機械の2台や3台は安いものだった。

が、その会社は8年目ぐらいで倒産してしまった。お陰様で私は失業しベンチャービジネスを志して貧困と試練の人生が始まるのであった。


< 父の人生終わり、次回はオムニバスで続く>

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父の人生 ②


父の人生については、あまりよく判らない。特に父が幼少期の頃のことは全く判らない。
母については、本人から幼少期の頃から93歳で亡くなる2年ほど前までの事を老人ホームのベットの上で話して聞かせて貰っていた。

母の胸に抱かれて授乳させて貰っていた記憶とか、お爺さんと過ごした2~3歳の頃の記憶は今でも昨日のように鮮明に覚えている。そんなに古い記憶を覚えているのも普通は有り得ないらしい。多分、私の命盤の福徳宮が特殊な状態で有ることがそれを裏付けていると感じる。

父についての記憶も2~3歳ぐらいであろうと思う。毎朝のように父が短気を起こしては卓袱台をひっくり返し、茶碗を投げつけて母に怒鳴っていた記憶は鮮明に覚えている。そんな恐ろしい父を毎日観ているものだから、父に対する感覚は怖い人間、恐ろしい人間というイメージを持っていた。それ故に日常も私は父に近づくことは避けていた。
父が私の側を通ると独特の加齢臭がしたが、それが大変に嫌悪感の有る匂いで嫌であった。
父の部屋に近づくと同じように臭うので嫌であった。

嫌いになるとは、こんな状態なのだと今更に思い出してため息をついている。

私が小学校に上がる前には、近所も遠く同年代の子供は居なくて、本当に一人っ子状態でお爺さんと一緒に居るか、さもなくば一人遊びが中心だった。父が庭先で大工仕事の材木の刻み仕事をしていれば、その仕事でのカンナやノミを使う様が珍しくて遠くで観ていた。本当は近づいて目の前で観たいけど、側に寄るのは怖かった。


いよいよ小学校に上がる頃に成ると、私の入学に備えての準備が始まるが、兄たちとは違ってさほど慌ただしいものではなかった。兄たちが小学校、中学校と進学する度に、父は兄たちを連れて新品の学生服やランドセルを買いに行って、帰ってきてから兄たちが試着してお爺さんや家族に見せていた。

しかし、私の時には、そういうことは無くて、いつも兄たちが6年間着古したヨレヨレの学生服を母が手直しをしてくれていた。
私は生まれた時は、今で言う未熟児状態だったようで、五人兄弟の中では一番やせ細って小さかった。そのため学生服もズボンも長過ぎ、服も袖から手が出ない状態を、母は折り返して針で縫っていた。
学校に行くと、同級生は皆新品の服とランドセルだから、ヨレヨレの学生服と傷だらけのランドセルが恥ずかしかった。

参観日も父親参観日にも父は一度も姿を観せたことが無かった。
高校に入る時に滑り止めに受験した私立高校の入学手続きに初めて一緒に行ってくれたことをよく覚えている。それだけは嬉しかった。

その後、滑り止めの私学には入らずに済んで、公立の電気高校に入ってからは父とは再び縁が無くなっていた。だから私は父の記憶が薄いのだ。しかし、私の命盤の父母宮だけを観ても、それらしきものは見当たらない。
欽天派では、父母宮は父親を観る訳だが、「貪狼」という男の星だけど。兄弟宮にも「武曲・天府」と女の星が2つ。何故か女性の星ばかり。
もっとも、私のこれまでの人生で圧倒的に女性には縁が多いものだった。私が世帯を持っても女系家族で、母と妻と三人の娘という家族構成であったし、父も三人の妹に囲まれ二人の妻という、女性に縁の多いものだった。
三人の妹たちは全員嫁いだ後も、年中父の居る実家に来ていた。父がコタツで妹たちの愚痴を聴く専門家の役目を果たしていた。よくも飽きもせずに朝から夕方まで、ずっと延々と愚痴が聞けるものだと、私は子供ながらに感心していた。妹たちの愚痴は毎回エンドレステープみたいにオンデマンド放送だった。
愚痴の内容を私はすっかり記憶して人に話せるくらいに成っていた。

私が中学、高校と進学している六年間の父の記憶は抜けている。父が毎日母とどんな風に成っていたのかは覚えていない。仲が悪いことには代わりは無いが、覚えていない。

私は高校を卒業すると実家を出て会社が探してくれた下宿(今では、こんな言葉を知らない人も居るのでは)先の民家に住むことになり、盆暮れに実家に帰る程度に縁が遠くなった。

実家を離れ下宿生活を1年ほどして、次男の勧めで実家から会社に通うことに成った。そのために次男は中古車では有ったが私に普通車を購入してプレゼントしてくれた。今になって思えば決して安くない買い物なのに、この私に高額のプレゼントをしてくれたことになる。
それをきっかけに以降、20歳で結婚するまで私は実家に父母と同居する事になった。
しかし、実家に入っても私は、日中は会社に行っているし、土日は神奈川県の友人のアパートに山梨から泊まり込みで遊びに行くことが日常だったので、益々父母のことは判らなくなっていた。
この時期、多分、父は大工仕事が入る度に母に農業一切を任せて居たのだろうと思う。
この頃が、母にとっては地獄のような日々で有ったのだろう。

私が農業を手伝って居れば、母は疲労困憊するまでに健康悪化は免れたのかも知れない。
そんなことは露とも知らず、私は仕事が終われば毎日遊び歩いていた。
もしかしたら、兄が自動車を買ってくれたのは、私が農業を手伝うことが目的に入っていたのかも知れない。だが兄から、そのようなことは聴くことは無かったが、一つだけ記憶が有る。
いつのことなのか忘れてしまったが、兄は「孝宏、家を就いだ方が楽だぞ、家を建てれば金も必要だし、実家に居れば、その必要は無い、衣食住も助かるぞ」、実はその言葉を聴いて私はもの凄く得をしたように感じた。

事実上、私は跡継ぎのようになった。しかし、20歳で結婚してしまって新婚生活の為にアパート住まいになったので、結局は実家の農業を手伝うことは少なかった。

幸い19歳で転職した会社では出世もして収入も多かった。
そんな時、縁の薄い父から休みの日には農業を手伝って欲しいと頼んできた。
「お母ちゃんが、ノロマで農作業の足しに成らん、俺が一人で頑張っているようなもんだ、手伝ってくれ」そう父から言われたので内心嫌では有ったが土日に手伝いに行くようになった。

土日休みに農業を手伝いに行ってみると、玉ねぎの消毒作業をしていた。消毒用の動力ポンプなどは使わず大きな手押しポンプで薬液をホースに送出していたのだ。それは母の役目で、父は長いホースの先の噴霧器で玉ねぎに薬液を噴霧していた。
私が畑に現れると父は「孝宏、お母ちゃんに変わってポンプを煽ってくれ、お母ちゃんはノロマで農薬が出てこん」
私は母に変わってポンプを煽りだした。ポンプを煽る作業は驚くほどキツイものだった。
昔の手押しの消防ポンプのようなものだ。5~6回煽るとへとへとになるのだ。こんなのを母は毎日延々とやらされていたのかと思ったら可愛そうになった。
それでも父は「お母あは、渋太くて幾ら言っても言った通りにポンプを煽らん」と怒鳴っている。
私も父には何故か逆らえなかった。

その後は、農作業を手伝いたくないから、休日出勤だの何だのといって農作業の手伝いをサボった。きっとその間は母が奴隷のように酷使されていたのだろう。


< 続く >


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高的中率の紫微斗数だけれど



いつも、紫微斗数は的中率が高いとPRしていますが、時には的中率が低ければと思うことも有ります。

特に「欽天派の紫微斗数」の「必定」は100%と教えられました。
しかし、外して欲しいことも多々有ります。

対面鑑定時には鑑定時間を有効に使うために事前に命盤を作成し概略は診ておきます。
しかし、特にご相談内容を伺って居ない場合には、鑑定当日に相談者さんの前で命盤を観ながら、訪れた日の太限や年運、月運で相談内容を当てることをよくやります。

ある意味、「黙って座ればピタリと当てる」のパフォーマンスなので驚かれますが、それはそれとして、問題は「人生傾向を見て欲しい、特別に注意する事が有ったら教えて欲しい」という場合には、特定の事象についてだけではなく、いろいろ12の宮に付いて調べなければ成りません。
手間は掛かります。実はこの手のご相談に一番時間が掛かります。

ご相談内容が絞られている場合は、問題の起きている宮を中心に宮の状態、四化の状態、さらに四化を飛ばし太限、年運などと診れば良いので、割合に短時間で済みます。

しかし、命盤に特別な問題が潜んでいないか探し出すのには、欽天派の理論を使い、四化を観察し、問題が有れば、さらに深読みをし、太限、年月の運勢で時期と期間を特定します。

そんな時に「必定」の理論は大いに役立つ訳です。決して「天使のように甘く的中し、悪魔のように大外れする」ような事は有りません。本当は、このように「悪魔のように大外れ」して欲しいことが有ります。

鑑定時に、相談者さんの前で四化を観察しメモに記録していきます。
そうすると、相談者さんにとって重要な問題などが解決叶わぬような結論が出てきてしまう場合も有ります。嘘を言うことも「嘘も方便」といわれ良いのかも知れませんが、いずれ「嘘とバレて」しまう訳ですし、知らなかったら対応も予防策も講じられないまま、まさに「必定」になってしまいます。それだけは避けたいのです。

そのような場合には、紫微斗数で例え「必定」であっても、まだ何も起こっていないのですし、十年先であったりします。それまでに時間も有ります。
何もしないで居ればシナリオ通りになってしまうかも知れません。
出来ることは全てやってみる。そして最後は「神様のお力を借りる」ことも必要かと思います。
ただ、困った時だけの神頼みでは何も起こりはしないでしょうけど、時期到来までには心を変えて行ければと思います。
つまり、「人事を尽くして、天命を待つ」そんな生き方と思います。

欽天派の紫微斗数は「厳しい命術」とよく実感する時が有ります。

相談者さんの涙を見るたびに辛い思いを私も共有します。何とかしてあげたい…。
これまでの鑑定で「必定」であっても、避けられた例は幾例も有りますので、落ち込む必要は無いと申し上げています。何もしなければ「必定」ですけど、必死で努力し行動することの大切さを力説します。

相談者さんの涙を見るたびに祈ることが多いです。

名無一神王之命 と…


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ストレス

これまで多くの鑑定をして気付いたことが有りました。
極度のストレスを長期間に渡って受けてきた人たちに多いのは、難病を発症するということでした。
難病と言われるものは、自己免疫系の疾患、パーキンソン、バセドウ、癌、など現代医学で原因も治療法も不明の病気です。
また、そういう病気を発症するということも、生まれつきのシナリオに入っていました。
そのような人たちは、幼少期、あるいは成長しても、そのようなストレスの多い環境で人生を過ごすというシナリオも出来ていました。
シナリオを変えるには、シナリオ通りの思考や行動を止める事と感じました。
人は、自分では、いろいろ考えて行動しているつもりでも、実はシナリオ通りの思考と行動をしています。
それはシナリオを知らないからです。本当にシナリオを知ったら、自分の想いとは違う事を考えなければ成らない、ということに気付く訳です。しかし、自分にとっては不自然な違和感の有る考えに成るので、変えるには相当の努力も必要になります。

寄進について思うこと

人の為にお金を使うことが大切という訳ですが、お金を与える相手が自分の好きな人では、あまり意味がないという事のようです。
好きな相手にお金を使うのは「我欲」に当たるからと思います。縁もゆかりも無い困っている人に使ってこそ、世のため人の為と思います。
また、その時の自分の想いも重要と感じます。
つまり、幾らお金を使っても、その見返り(金を使うのだから何かを叶えて欲しい)という物を望んでの寄進は「我欲」に当たるからです。
本当の寄進は、困っている人が少しでも楽になってくれたなら」と本当に思える使い方のことを示していると思います。
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10年運の大吉と大凶は一生に一度だけ



紫微斗数も四柱推命も10年単位の大きな運勢を調べることは簡単に出来る。

紫微斗数では、これを「太限」といい、四柱推命では「大運」という。
これらの10年単位で変化していく運勢は図のように大きなサインカーブのようなものだ。
実際は図のように綺麗なサインカーブでは無いと思う。もっと複雑では有るが、基本的には吉運と凶運が交互に巡ることになる。

画像


人によっては吉運と凶運がセットで一緒に巡る人も有るが、その場合には吉運の時でも凶運が一生に引っ付いているので、「もの凄くラッキーということも無かったが、最悪の時にも何故か必ず助けが入った」などという感じだ。

ここで取り上げるのは、吉運と凶運が別々に巡る場合をテーマにする。吉凶一緒に巡る人の割合は、私のこれまでの統計的な感じでは全体の1/5ぐらいかなと思う。
それ以外の人は吉凶別々に巡っていると感じる。

中には吉も凶も砂漠の「2こぶラクダ」の背中のように中吉二回、中凶二回といった感じで巡る人も居るが、そのような場合は大吉や大凶が巡らないので、吉凶が有っても割合平坦な感じになる。


問題なのはハッキリと大吉と大凶が分かれて巡る場合だ。
大吉の時期には大ブレイクする可能性が有るが、いったん大凶になると、とんでもない事も起こる運勢なのだ。
有名人にも良く見かける人生がそれだ。

若い時期に大吉が巡ると20歳程度で世界一ということも有り得る。もちろん本人の努力も有っての事だが、しかし若年期の大吉は後が重要になる。

大吉の成果を自分の才能だけで成し遂げたと思い込む危険性なのだ。
誰とは言わないが、20歳代で人類史上の稀に見る最年少世界記録、なんていう場合だ。
このまま、中年まで勢いを維持できれば良いのだが、中年期には最下位何ていうこともあり得る。
もし、こんな場合をアドバイスするなら、成績が最高潮の時期にかっこ良く引退が良い。
多くのファンに惜しまれ永遠の名声を手にして現役を引退するのだ。そして、その名声を武器にその業界で後輩の指導や活動に尽力することで低運気になっても、大凶という状態には成らないだろう。
もし、欲に目が眩んでいつまでも現役を頑張ろうとするならば、大凶が巡る時には幾ら頑張っても成績は伸びずに落ちるばかり、こうなると誰も見向きもしてくれなくなる。
「昔は世界一だった」といっても、落ちぶれてしまってからでは惨めで、どうしようもない。

そんな有名人は結構居るのではないかな。


安室奈美恵さんは素晴らしい引け際と思う。彼女の運勢がどうなっているのかは知らないが、彼女の名は永遠に語り継がれるだろう、伝説のように、まさにレジェンドなのだ。


若年時に異常なほど好調だったら、運勢、せめて10年運がどのように巡っているのか知って置いた方が安心だ。10年運が割合緩やかに落ちて行くのならまだ良いが、サインカーブのように急激に落ちるのなら好調期に後半の人生の計画を建てた方が良いだろう。

落ちてからでは、何事も持ち上げるのは大変だ。吉運の時は努力がそのまま実ることが多い。しかし、低運気では100の努力をしても40ぐらいにしか成らない場合も多いのだ。下手をすれば人並みの生活をしようと思うなら、人の倍の努力が必要の場合だって有る。

しかも若年時に好調の場合は、あまり苦労をしないで成果が出てしまうので、低運気に成った時に苦労の経験不足で旨い対応が出来なく失敗する可能性も多くなる。低運気の失敗は応えるものだ。損害が大きくなる。当然、心のダメージも大きい。彗星のごとく現れ一世をフウビしても、その後に落ちぶれて自死したり、貧困に埋もれて生きている、なんていう場合もある。


これが、大凶が先に巡って、中年以降に大吉が巡るなら最高だ。
大凶の苦労は若い時なので何とかなる。苦労してたくさんの経験も積める。そして晩年に向かって大吉となれば、たとえ還暦近くでも何かを始められて大ブレイクも可能になる。

いくら若い時に栄華を誇っても、年老いて惨めな人生ほど辛いものはない。

人生の運勢の大きな波が、どのように巡るのかを知っておくことの意義は大きい。



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鉄の心



■ 過去にも数回こんな記事を書きました。
ご相談には様々な内容が有りますが、生涯に起こる問題や悩みも紫微斗数では命盤を分析することによって予見出来ます。
また、その問題や悩みも、ご自身の心の状態が原因ということも多く、そのことも命盤に現れていて、将来必然的に起こってくるということも予見出来るのが紫微斗数です。

ご相談に訪れる時には、すでに前述のような問題が起こってからということが普通ですが、その原因となっている心の状態も、問題が起こる状態にすでになっています。

その心の状態というのは、様々では有りますが、問題の起きやすい心の状態という原因が、幼少期に有ることも多いですし、元々持って生まれた性格に起因することも多々あります。
生まれつきの場合の多くは、遺伝(?)的とも感じます。お爺ちゃんに似ているとか、お父さんに似ているとか。ただ、幼少期にそんなお父さんやお爺ちゃんを観て育った場合も有るのだろうとも感じます。観て育った場合は、父母宮などにも現れています。

いずれにしても、原因が父母や祖父母に有ったとしても、問題の発生は本人に現れるので父母を恨んでも、結論から言えば何にも成らないと云えます。

でも、様々な問題、苦悩の原因が父母に有ったと気付き、本当の自分を取り戻せた時には、それまでの苦悩が嘘のように消えて行く場合が多いです。

しかし、少数派ですが、苦悩の原因が例え解ったとしても前に進めない人たちがいます。
過ぎ去った過去をいくら憎しんでも恨んでも、今が楽になる訳でもなく、むしろ心の状態は益々悪くなって行きます。これを「紫微斗数」流に言うならば、過去の悪の状態に粘着、囚われて未だに心の自由が取り戻せない、悪の奴隷になっている、ということです。
こんな現象はまるで「化忌星」の象徴です。

すでに本人を取り巻く環境は良い方に変化し、何の問題も無くなっているのに、本人の心は何十年も前の過去に鎖でつながれている奴隷のようです。
こんな状態を紫微斗数では判りますので、それなりのアドバイスやカウンセラーさんを紹介するなどしますが、ここで厄介な問題が起こるのです。
この少数派の過去の奴隷になっている人たちの多くが、本人はまったく自覚出来ないのですが「頑固」という魔物に蝕まれていることです。
「辛い、辛い」と常に訴えるのですが、自ら何か方法が有るのなら何でも試してみようとは思わず、誰か何とかしてくれる人は居ないのか? と探し続けるのです。

人の心を変えるのは容易では有りません。「マインドコントロール」なんていう方法も有るけれど、それが本当に良いのか疑問ですが。
一番良いのは、自ら心の中から変化して行くことと感じます。

よく聞くのは「もう、そう思うことを我慢する」
これはダメです。「我慢」ということ自体が問題なのですから、我慢なんてしないで、普通に「そう思える」、そんな心の状態が良いのですが。

過去の憎しみ、恨みから開放された時の心の状態って、それはそれは見事な日本晴の空を眺める爽やかさが味わえるのですから、もっと言えば、監禁状態から開放された自由、身も心も軽いとは、こんな状態と思います。この私も体験していますから、開放された後はなんて素晴らしい世界が有るのだろうと、すべてに感謝の気持ちが湧いてきます。当然、物事も旨く行くようになります。


誰かに心を変えて欲しいと思うのではなく、自分が変わりたい、そのためには何でも試してみたいという気持ちになることが必要と思います。

神理で「因縁解消は因縁の自覚が先」と云われます。

「頑固」な方には、他者のアドバイスに耳を傾けようとはしません。何を聞かされても「そんな事は有りません」と否定し続ける。
だけど、誰か助けて欲しい、と常に願い続けてはいますが、心は直接に手を突っ込んで治すことが出来ないのです。外科手術をするような訳には行かないのです。


このように、鑑定に来ても何にも変化の起こらない方の命盤には、そんなシナリオが現れています。是非ともシナリオを少しでもアレンジ出来ることを願っています。



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鑑定後のお問い合わせ出来ます

鑑定後のお問い合わせについて

■ご質問
先日はありがとうございました。
 彼に母子手帳等探してもらったのですが、見つからず、出生時刻は分からなかったのですが、もし分かったとしても、相性が良くないというのは変わらないのでしょうか。


■お答え
先日は有難うございます。

そうですね、基本的な相性は生年月日で出てきますが、生まれ時刻が判れば、具体的にどんな所が良くないのかが判りますから、お互いに相手の良いところ、悪い所を知ることによって旨く付き合って行くことも可能です。
例え話をすれば、かっこ良い車を買ったとしましょう。見た目はとても気に入っていたのですが、高速で飛ばそうと思ってもイマイチ調子が上がらず、運転していてイライラしてきます。
車をよく調べたらかっこうは良いのですが、エンジンやサスペンションの性能がイマイチ良くなかったのです。
しかし、今更車を買い換えることは出来なかったら、高速道路はあまり走らせずに一般道路で行けば、特に問題が無かったりします。また悪路もイマイチでオフロードには向いていないことも判りました。そんなら、ごくごく普通の用途に使えばイライラもせずに済むことに気付いたという訳です。

彼氏との問題も、相手を互いに知り、欠点は欠点として受け入れ、優れた所を互いに評価し合って行けば、問題も少ないでしょう。また、欠点など足りない部分は互いに補い合うことでも克服出来ます。
これが、相手をよく知らないと、「何故?」という疑問が出てきて、「なんで、そんなこと出来へんね?」と成るわけです。
ただ、致命的な欠点が有ったりして、どうしても受け入れる事が出来ないとなると厳しいですけど。その場合も生まれ時刻が判れば、致命的な欠点なのかの判断も出来ます。



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幸せになる人の心がけ・心がまえ
学研パブリッシング
木村 藤子

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鑑定お申込みに便利なLINE

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宮立命 (静岡市)への鑑定お申込みには、ホームページの「お申込みフォーム」で必要事項を入力頂いて「送信アイコン」をクリックして頂ければ、後は自動的に私のパソコンメールに転送されてくる仕組みになっています。
この場合のお申込み、お問合わせはメールという形式で送受信します。
メールというのは結構面倒なものです。
先ず、アドレス(宛先)を入力しなければ成りませんし、「件名」も未入力ですと迷惑メール扱いに成る場合もあります。

そこで、私は「LINE」も日常的に使用させて頂いています。
LINEの便利な点は、いちいち「宛先」の入力が必要ない、「件名」も不要、いきなり挨拶文で本題に入れることです。
更に送信出来るファイルも汎用性が優れいて居ることです。
いちいち「添付ファイル」形式ではなく、送信したいファイルを選択し「送信」のみで相手に送信されます。またファイルの大きさも制限はほとんど有りません。メールですと「2Mb」までしか送信出来ませんので、鑑定に必要な資料など複数回に分けて送信しなければ成りません。
その複数回の送信に、いちいち宛先、件名の入力も必要になります。
LINEですと送信したいファイルを「Ctrl」キーを押しながら複数個選択し、「送信」で一斉に送信出来ます。


ただ、LINEで送受信する場合に必要な事があります。
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私はLINEに「友達申請」が表示されたら、「友達」に追加して、以下のコメントを返信します。

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ここで、LINEで友達申請をされて来る方にお願いですが、ほとんどの方が「ニックネーム」ですので、何処の誰なのかが不明です。最近多いのは「出会い系」からの友達登録です。
出会い系の申請は直ぐに判ります。大概は可愛い女の子の写真がプロフィールに成っていてヌード写真なども表示されていますから、さらにコメントにH、卑猥なコメントが付いていますから。こういう業者のLINEは即刻「登録拒否」でブロックします。

一般の方の中にも出会い系に間違い易いものも有りますので、是非一言氏名などのコメントをお願いします。

LINEでの鑑定依頼は直ぐに鑑定の日程、出生データーの送信、ご相談内容などのやり取りが出来ます。メールのように1日単位でのやり取りではなく、10分程度の期間で鑑定予約が完了します。では、LINEをお待ちしています。
宮 立命 (静岡市)のLINE IDは、「miya19511」です。



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父の人生 ①

父の人生 ①

母が70歳前ぐらいに脳卒中で倒れ、以後は半身麻痺で歩くこともままならなく成り、温泉病院のリハビリを薦めるが「嫌だ」ということで、リハビリは諦めて退院許可が出たら、家に戻ろうということに成った。

治療が進みトイレにも歩いて行くようにと病院内で歩行のリハビリが始まった。
理学療法の先生に付き添ってもらい病院の廊下で歩行器を使い歩く練習である。麻痺している方の足は引きずるのが精一杯で3m進むのにも時間が掛かる。しかし母は一生懸命である。あれほどリハビリは嫌だと言ったくせに、いつまでも歩行練習を続けていた。しかしだ、手の方のリハビリになるとガンと拒否である。
拳のように握ったままの手は、棒の先のようになって何の役にも立たない。

理学療法の先生が病室に来ては、指を一本ずつ動かすマッサージをしてくれるのだが、「痺れていてくすぐったい」と触らせるのさえ拒否する始末である。なのに足のマッサージは痺れてくすぐったくても受け入れていた。私には母の魂胆は読めていた。歩けないと自分が何より不便で困るが、手は片手が使えれば取り敢えずは生活が出来るからだ。

これで、手も普通に使えるように成ったら、倒れる前のように親父に畑仕事をやらされるのではないかと、それを何よりも恐れていたのだろう。退院して何ヶ月も経った頃、こっそりそのことを指摘したら、母は「お母ちゃんわな、もう、こんりんざい畑にゃあ行かんからな」と笑っていた。

半身不随になってからの方が母は明るくなった。
毎日が楽しいと、朝から夜まで家の中にいて本を次から次へと読み始め読書家に成った。
新聞も隅から隅まで読み通し社会全般、政治、経済、世界情勢までも論評する始末である。
畑で土埃に紛れていたモンペのお婆さんではなく評論家のようであった。それを私に、ああだこうだと講釈をするのには恐れ入った。


元々は母方の親は文芸肌であったから当たり前かも知れない、先祖には俳句の塾を開いていた者も居たそうだ。

一方の父方は根っからの百姓だ。
これではお姑婆さんにイジメられる訳だ。


母が退院して来て片手が完全麻痺なのであるが、台所の家事は何とかやれていた。
出来ないことは両手でやらなければ成らない農作業だった。以来、母は家事全般に徹していた。バケツに水を汲んで片手で吊るして持ち歩くことは、多少はビッコでは有るが出来ていた。

一方、父親はたくさんの農作業を一切一人でやらなければ成らなくなった。
大工仕事の依頼はずっと来ていたが、ほとんど断っていた。畑の作物が心配で大工に行く暇などは無くなってしまったのだ。そして何ヶ月も大工道具を使わないで蔵にしまって置いたら、カンナもノミも錆び始めていた。錆び始めていた大工道具を久しぶりに蔵から出して、眺めていた親父は如何にも寂しそうだった。
私が「お父さん、道具が錆びてりゃ切れ味は悪りいらに?」
「おお、ここまで錆りゃ、研いでも元にゃあ戻らん、もう大工はお終めえだ」
親父はお気に入りの大工道具には、誰にも指一本も触れさせなかった。
カンナの刃なども常に研いで髭さえも剃れるほどだった。なのにだ、今は錆びて刃先がボロボロ。



親父の幼少期の事は皆目判らない。
お爺さんに聴いても話して貰ったことは無かった。
もちろん母からも聴くことは無かった。分かっているのは母が再婚してからのことだ。
母が言うのには、四人兄弟姉妹の男一人の長男で生まれ、厳しい母親に姉妹の面倒を観させられ、百姓の手伝いも年中させられていたそうだ。
父の母(お姑婆さん)は厳しい人で母が嫁に来て一度も笑顔や笑ったことなど見たことは無かったそうだ。一方、父親のお爺さんは婿入りで陽気な人で部落でも好かれていたそうだ。
当然、お姑婆さんとお爺さんの仲は悪かったらしい。というか、いつも怒って怒鳴っているお婆さんをお爺さんは相手にしていなかったようだ。
お婆さんは父を旦那のように身近の存在にしていたらしい。何をするにも「清治、清治」と頼んでいたようだし、あれほどの神経質で短気の親父もお婆さんには一切立て付けないで大人しく従っていたようだ。
三人の妹たちも全員嫁いだが、先祖の因縁なのだろう嫁ぎ先でそれぞれに苦労していたようだ。
私が物心着いた時には年中、妹たち(叔母さん)が家に来て半日以上、あるいはお昼前に来て、お昼を食べて、更には夕飯も食べて、夕方まで、親父とコタツで延々と愚痴を話していた。親父は「そうか、そうか」と飽きもせずに夕方まで話を聴いていた。
そんな時に母は、その話には一切加担せずに別の部屋で自分の事をしていた。幼い私も親父姉妹の話には子供心にも楽しい雰囲気は何も感じなく、むしろ嫌な雰囲気(二人の形相で)なので、母の居る部屋で、母の針仕事を眺めていた。母が居ない時は別室のお爺さんの膝の中に居た。


お姑婆さんは一生笑顔の無い人だったようだ。
親父の笑顔も見たことは無かったと、母は言っていた。
ただ親父の晩年に私が農作業を手伝うようになってからは、嬉しそうな笑顔は時々見せるようになっていた。しかし、ケラケラ笑うことは有り得なかった
父は兄たちがラジオで歌謡曲など聴いていると、「煩い、止めろ」といってスイッチを切ってしまう。
お爺さんがラジオで落語や浪花節が好きで聴いていると、親父は黙って大人しくしているが、お爺さんが何処かへ行ってしまうと、親父は「俺らあ、本当にこういうお笑いは大嫌いだ」と言って荒っぽくスイッチを切っていた。
楽しいこと、愉快なことは鳥肌が立つくらいに嫌いだったのだろう。
もう、この時にはお姑婆さんは他界していたのだが。



< 続く >


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母の人生④

母の人生④

母は、9人兄弟姉妹の最年長の長女として生まれたが、30代に成るぐらいまでに末っ子の弟を残して、他の7人の兄弟姉妹をすべて亡くした。7人の命を引き継いだ分、苦難も7人分だったのかも知れない。更に30歳も年下の末っ子の弟も50歳代で早逝し、母だけ93歳までの天寿を全うした。
生まれる前から、そういう宿命を背負って来たのだろう。そう命盤は物語る。


父は寂しい人生であったろう。
母はまだ良い方だ、「お前がいつも側に居てくれたから、お母ちゃんは幸せだった」と。
でも、私は高校生の頃、小遣いが欲しくて母に年中無理を言っていた。
其の時にはもう母にお金をくれるお爺さんも亡く成っていたから、父が大工仕事で留守の日を狙って蔵の中のコメを30Kgほどずつヤミ米買い取りの商人に密かに来てもらい売っていた。一度にたくさん売ると父に見付かるので、ひと月に一回程度の頻度であった。30Kgで3.000円ぐらであったろう。
ヤミ米商人は普通の格好で自転車で来ては大きなリュックサックに入れて帰った。ヤミ米商人も事情は承知していたようだ。


私が小学校に入る前に母はあまり家に居なかった、畑に行っていたのか、何処に行っていたのか、昼にも帰って来なかったことが多かった。朝は居たが知らないうちに何処かに行ってしまい、姿がないのだ。
父に聴いても返事は無く知らん顔。今になって思うと、そういう時にはお爺さんも居なかった。いつも一緒に居てくれるお爺さんも居なく一人ぼっち、居るのは一言も口をきいてくれない他所の叔父さんだった。私は母がもう帰って来ないのではと思い、一日中泣きながら大きな家の周りを探し回っていた。
そんな事がトラウマになってしまったらしく、大人になってからも好きな人は知らない内に何処かに行ってしまう、という思いに悩まされた。好きな人が出来ると去ってしまうのではと思うから、相手からしてみれば「煩い」ということになってしまった。そうすると本当に去って行ってしまった事は多かった。そして、いつも恐怖感を伴った孤独に襲われたものだ。


父の本業は大工だが、大工の仕事の依頼の無い時は、家計費を稼ぐために養蚕や米作りをして出荷していた。しかし一旦、大工仕事が入ると家を一月ぐらいは日中空けた、お爺さんがいる頃は、お爺さんと母で農作業に専念していた。
お爺さんが亡くなってからは母が一人で農作業をしていた。でも夫婦二人でも多過ぎるぐらいの耕作をしていたから、母は休む暇なく作業しても、とても間に合うものではなかった。しかし、父が夕方に大工仕事から帰り、田んぼを見に行って作業が進んでいないと「何をしていた」と怒鳴っては、しまいには暴力を奮っていた。


私が30歳の頃の夕方、母が夕方薄暗くなって一人畑から土埃に紛れて帰って来た。
私は「お母ちゃん、夕飯の支度は?」
「ああ、まだだ、畑仕事が遅れてなあ」
「俺、手伝うよ」
「じゃ頼む、お母ちゃん豆腐屋さんが来るから買ってくる」
といってアルミの片手鍋を持って走って出ていった。
私の実家は大通りから細い道を50Mは奥に引っ込んでいた。
遠くから豆腐屋さんの引き売りのラッパの音が聞こえてくる。

暫くして母が豆腐を買って走って帰ってきた。
母は台所の土間に入って来るなり、へんへなと農作業用の足袋を履いたまま板の間に崩れ込んだ。
「お母ちゃん、何してる?」
「孝宏、お母ちゃん何か変だ」
「ええ? どうした? フザケてるのか?」
「力が入らん・・・」
アルミ片手鍋が土間に転がって、中の豆腐が砕けて土の上に転がった。

父が庭に居た。
「お父さん、お母ちゃんが変だ!」
「どうした」
父は落ち着いて入ってきた。
「澄江!」
「俺、お母ちゃんを病院に連れて行く」
そう言って、私は自分の貨物自動車の後ろの座席を平らにして、父と二人で母を後ろの荷台に寝かせた。
公立病院は車で30分ほどの所に有った。救急車を呼ぶという考えは浮かばなかった。父も付き添い、病院への山道を向かった。すでに日は暮れ、車のヘッドライトがトンネルのようになった木々の梢を照らしていたのが印象的だった。


病院では救急治療室に運び込まれて宿直の先生が診察してくれた。
血圧は上が270,下が200、「脳卒中ですね。脳内に出血しています。入院の準備をして下さい。一切飲食物は与えないでください」先生はそういうと治療の準備に取り掛かり点滴を始めた。
母の顔面左半分が引きつって人相が異常に変わっていた。


母の入院は3ヶ月に及んだ。右半身完全麻痺。
先生は転院して温泉病院でのリハビリを薦めてくれた。

私も母にリハビリを薦めた。
「お母ちゃんはリハビリは絶対しないからな」
「えっ! どうして、このままじゃ歩けなくなるかも知れんって先生は言ってるぞ。片手じゃあ普段も不便じゃん」
「お母ちゃんは片手麻痺でも構わん」
「それじゃ、どうやって生活するだね?」
「お母ちゃんはこのまま不自由がいい。もう畑には行きたくねえ」
「そうか」
「お母ちゃんは不自由になって幸せだ、毎日寝て居られる」

母が70歳になったばかりの頃だった。



< 次は父の人生 >


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症状は出ているのに「問題ない」?

症状は出ているのに「問題ない」?

時々、来られるご相談に厄介な問題がある。
それは、具合が悪いのに医者に行って診察して貰っても、医者は「問題無い」ということだ。

最近も、そんなご相談が有りました。
(この記事は、ご相談者さんの了解を得て多少編集させて頂いて掲載します)


具合が悪い症状にも人によって様々ですが、つい先日ご相談に観えた女性は、もう20代になろうというお子さんが二人居らっしるお母さんですが、10数年も前に「めまい」などが激しくなり病院を訪れました。最初は近くの小さな病院へ行きました。そして診断は「メニエール病」と診断されました。

記事の続きはこちら

母の人生 ③

母の人生 ③

母と父は同じ屋敷内で別居状態になった。
と、言っても夜寝る時だけであるが、私はまだ生まれて居なかったので、実際にはどんな状態だったのかは判らない。
嫁は絶対服従の仕来り(しきたり)のお姑なのだから、夜の別居は如何なものだったのか?
一人息子を取り戻して歓迎したのか、それとも「実力行使をするとは大した度胸だ」と更に厳しさがエスカレートしたのかは、聴きそびれてしまった。

それから数年、お姑婆さんは益々異常行動が激しくなり(今で言う認知症?)、益々暴力的になり日常の生活にも支障が出るようになり、お爺さんも困り果てていたし、息子である父すらもお爺さんの意見に従ったのであろう。

お姑婆さんは庭先に有る蔵の中に暮らすことになった。日中すらも蔵から出ることは出来なくなったらしい、いわゆる「徘徊」が激しくなり蔵から出れば暴れまわり、昼夜問わず完全に独房・禁固刑のような日常となった。蔵には窓などは無く真っ暗である。食事は適当なお椀に入れて蔵の中のお婆さんに差し入れて、しばらくしてお椀を取りに行くと空になったお椀に糞が入っているそうだ。
この記事のシリーズは、かなりエグい内容だが、こんな現実だったのだから素直に書くことにする。

昭和10年代という昔なのだから介護サービスが有る訳ではない。
当時は、認知症になる前に寿命が尽きてしまう人の方が多かったのだろう。しかし、どうも父親の方の家系には精神的に参ってしまうDNAでも有るのかも知れない。
姑婆さんも早くから鬼婆のような性格だったし、親父も70歳にはトンチンカンの事を言うことが多くなったし、婆さんと似たところがあった。
昔は家族に異常者が出れば何処かに隠して暮らさせていたようだ。

やがて、お姑婆さんは寿命が尽きて哀れな死を向かえた。あれほど恐ろしい目に遭った母も、やっと春が来た思いだったろう。
親父も多少は落ち着いたようだったが、しかし夜の不満から母への虐待は続いた。男と言うものは夜の不満は妻への冷酷な態度に変わり易く、昼の夫婦関係にも必ずや影響が出るものだ。

家計費は一切与えず、買い物が必要な時は、何をどのくらい買うかで金額を決めて与えた。母の小遣いなどは認められていないし、もちろん子供への駄菓子など買い与える事などご法度である。
母の方にも知恵が付いていた、多少多めの金額を言っては釣り銭を密かに貯め込んでいた。
それでも、とても必要な金額は望めなかった。化粧品などは手に入れられず困り果てていた。

そんな母を観るに見兼ねてお爺さんが、息子の居ない留守にそっと母に数千円のお金を渡し始めたのだ。「息子には絶対に言うな、間違っても知られないようにな、何処かに隠しておけ」とお爺さんは母の手に札を握らせた。お爺さんは、それ以来定期的に母に小遣いをあげていたようだ。

お金を手にしても、それを気前よく使う訳にはいかなかった。そんなことをしたら直ぐに親父にバレてしまうだろう。欲しいものを買っても、それを親父には見られないように使わなければ成らなかったのだ。
母はお爺さんの優しさに気持ちは徐々に傾いていったようだ。

そんなお爺さんの母への気持ちは、一緒に暮らしている親父にも何かを気付かせることになっていった。それから数年経って母の腹が膨らみ始めたのだ。その時の親父の様子について詳細を母から聴くことはできなかった。親父から益々冷たくされたことには変わりは無かったようだ。

毎日、両親の地獄のような様子を見せ付けられていた先妻の子供二人と後妻の子供二人は仲が悪くなっていき、更にはどちらの子供たちも両親から気持ちが離れ始めていたようだ。それ故に四人の子供たちは就学時期が終わると同時に逃げるように実家を出ていった。そして盆暮れ正月にもあまり実家に戻って来ることは無かった。
私は生まれてから一人っ子のような記憶しか残っていない。


話は戻るが、ある日の朝のご飯の時、些細な事で親父は切れた。
親父は例のごとく家族8人の朝食が載った卓袱台をひっくり返して、手に持っていた味噌汁のお椀を投げつけた。中の味噌汁は部屋中に飛び散り凄い剣幕であった。
親父は何かをわめきながら押し入れの日本刀を持ち出し、鞘から抜いて振り回し始めたのだ。
その日本刀はお爺さんの戦勝記念品(?)であったから、お爺さんは親父に飛びかかり日本刀を奪い取ったのだ。さすが元陸軍兵である。若い親父よりも老体のお爺さんの方が技では優れていた。日本刀を奪われた親父は「死んでやる」と叫んで農薬の置いてある蔵に裸足で走ったが、ここでもお爺さんが追いかけていって取り押さえたのである。

その時の戦闘シーンの映像から私の人生の記憶はスタートしている。まるで映画のプロローグみたいに、その後に字幕が現れる感じである。私がこの世に現れて初めて観る人間という生き物の現実である。恐ろしいという以外の実感は無かった。私はヨチヨチ這って歩く程度だったので、その顛末を観てただただ大声で泣いていた。そんな時代の記憶が有るのも何か私は変である。
それから、私の映像は現在に至るまで長く続く長編映画なのだ。


私は歩けるように成長し、普段はお爺さんと一緒に一日を過ごすことが多かった。
母は畑に朝から夕方まで行っているらしく、日中は姿を観た記憶が少ない。夕方になれば土だらけのもんぺ姿で籠を背負って家に帰ってきた。
親父も大工道具を担いで何処からか帰ってきて、そして平穏な一日に終止符が打たれ、怒鳴り声が響き始めていた。


< 続く >


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強い女性は、強い男性に魅せられる。しかし

強い女性は、強い男性に魅せられる。しかし

男女の相性鑑定や結婚問題、離婚問題でご相談に訪れる方々が有りますが、すでにこのBlogでも何回か投稿した記憶も有りますけれど、「男女が好きになる人の傾向」について不思議な法則が有るということです。

今回は、そのことに付いて具体的に述べてみたいと思います。
ただ、女性と男性では少し傾向が違うようですが。

まず、女性の方から観察してみますと、強い女性は強い男性に魅せられる傾向が多いです。
その理由は比較的簡単でした、「結婚しても私を引っ張って行ってくれる人に憧れる」という理由です。
何故か、強い女性は大人しい男性や優しそうな男性に魅力を感じないのです。

確かに古代の大昔から人類は、男は野外で狩りをして猛獣と戦う必要が有ったし、女性は女性たちと集団で子育てなどを引き受けていたことも理由でしょう。

自然界は弱肉強食の世界ですから、弱いものは淘汰されて行くのが自然界の掟でした。そのために必要不可欠なのが「優性遺伝」だったのです。
この原理は今でも自然界の法則です。しかし、現代人は古代では生き残れない虚弱な者(私みたいな)でも、社会補償制度や科学の発達で活きる術が持てるようになりました。

したがって、古代のように男性が猛獣狩りをする必要も無くなりました。現代では男性も女性の出来る仕事に就いている人も少なく有りません。逆に女性も男性の専業のように成っていた仕事に就く人も増えて参りました。例えば大型トレーラーの運転手、電車の運転手、ダンプカーの運転手などです。
出産以外には男女差が無くなってきました。

このように考えますと、結婚というテーマに付いても古代の法則を見直した方が良いのではと思うのです。男女差が無くなって来たのなら、本来男性で無ければ出来ない事に不向きな男性も出てきましたし、女性で無ければ成らない事に不向きな女性だって出てきたのです。

でも、恋愛の基本的な感情には、古代から有る本能が働いて居るようです。
不思議ですね、現代の人は日常では本能より成長過程で学んだ現代の社会性に従って生きて行くのですが、結婚という人生の岐路では本能に大きく行動を委ねてしまう訳です。

これならば、その後に矛盾が生じても不思議では有りません。
強い女性は現代では基本的に生活力も有ります。だけど男性に頼りたいという本能が何処かで働いているのでしょう。でもいったん結婚してしまえば、本能は引っ込んで強い女性は家庭内でもリーダーシップと言いますか、仕切るようになる傾向が出てきます。一方、憧れの恋人として選択された強い男性も家庭でも主導権を行使してきます。当然、衝突は起こる訳です。
意見の違いに互いが譲り合わずに、自分の考えに従わせようとします。でも、どちらも従うタイプで無いなら溝が出来ます。これがよくある不仲のパターンです。

結果的に離婚という時になると「相性が合わない」ということになります。
何故に結婚前に、そんな当たり前のことに気付かなかったのか、私自身を振り返っても、恋をする時には本能100%ですね。現実的なことなど一切考えていません。ただただ「好き」それだけです。
一体何がそんなに好きなのか? 理由はハッキリしません。「恋のインスピレーション」っていう奴です。大概の人は、こんな感じで恋をするのでしょう。

恋愛中に「こりゃ、どうも変だ? この人とは相性が合わない、価値観が違いすぎる」と気付いて結婚まで行かないで別れる人は懸命です。惚れた時は本能一筋でしたが、途中で「本能=最適」では無いことに気付いたようです。


一方、男性の立場から考えてみましょう。
男性は女性とは少し、女性の選び方に違いが有るようです。
男性の古代から有る本能は支配欲です。それと子孫を残す本能と思います。
しかし、この「支配欲」は幼少期の強い親によって(一般的に母親が多い)芽を摘まれてしまう場合も最近は多くなっています。「ママの敷いたレールの上を走っていれば間違いないの!」なんて思って子育てするお母さんもいますし、子供をペットか盆栽のように好みの形に仕上げるのを楽しみにしているお母さんもいます。おとなしく従う子供は「育てやすい」ということになります。
でも、お母さんにとって育てやすい子供は、大人になって人生行路の目標を失いやすい傾向が有ると感じます。

逆に反抗的で育てにくい子供は、子供の「芽を摘まない限り」大人になって自立し自分で道を切り開いていく傾向を感じます。ただし、「芽を摘んでしまった」場合には、気弱で些細な人生の風雨にも倒されてしまうような人に成るか、憎しみ、あるいは恐怖と人間不信で生き難い人生を送る可能性もあります。

男性の場合には、幼少期の環境によって大人になってからの女性の選び方に違いが出てくるようです。
気弱な男性は、自分に無い強い男性的な格好良い女性に憧れる傾向があります。
強い男性は元気な女性に惚れるタイプと飾り物のように出来る女性に憧れるタイプも有ります。
また、「何処か支えてあげないと」、なんて感じさせるナヨッとした女性に魅力を感じる男性も居ます。
さらには、もっと違うタイプも有ります。

いずれにしても、「神様の法則?」で相性の合わない人に惚れる傾向が一般的です。
つまり「修行の為に最適な相手に惚れる」ということです。

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改めて思う人生のシナリオ

改めて思う人生のシナリオ

先日、あまりお付合いは無かった家でしたが告別式に行ってきました。
お付合いが普段あまり無かったことと、亡くなった方が発症して入院療養を始めた後で、私がその家の近くに転居してきたものですから、その家の事情もよく知りませんでした。
ご近所ということでお葬儀に行って来ました。


亡くなったのは、その家の奥様でした。
告別式の最後に喪主のご主人からご挨拶が有り、奥様の闘病生活のご報告が有りました。

それによると、奥様が発症されたのは45歳だったそうです。「脳腫瘍」を発症されましたが、手術などはされずに抗がん剤などでの病魔の進行を抑える治療を選択されたそうです。
そのため病気の進行を一時は食い止めたようです。家族とお話も出来たし、出歩くことも出来たようです。
「その内に治るだろう」という期待も有ったと思います。
しかし、発症から20年の闘病生活の末、65歳で亡くなりました。

脳腫瘍というと簡単に手術で取り除くことも出来ない部位ですから、本人も家族も迷い悩んだと思います。脳腫瘍に関しては、癌が末期まで進行すれば話も出来なく成るでしょうし、身体を動かすことも出来ない場合も多いようです。あるいは植物人間状態になってしまう場合も有るようです。

その奥様の場合は、亡くなるまでに20年という年月が有ったのですから、最後の数ヶ月ぐらいが厳しかったのでしょう。言い換えれば20年近くは、奥様と家族は会話も出来たので救いだったのかも知れません。でも永い永い闘病生活です。


もし、仮に発症時に手術をしたならば、そしてその手術が成功出来なかったら、術後には植物人間になってしまったかも知れません。
そして余命も大幅に短くなって20年という寿命は無かったかも知れません。

本人もご主人も家族も、45歳の若さで脳腫瘍が出来たとは、「何故、ママに癌が!」、さぞ「運が悪かった」と思われたことと思います。その時、手術をして良かったのか、またやらずに20年の闘病が良かったのか、どちらの選択が良かったのかは、多分誰にも分からなかったし決断にも迷ったと思います。
まさに「神のみぞ知る」ということでしょう。


しかし、奥様の命盤には、「必定」として、「45歳で脳の腫瘍発症」と有り、二度目の「必定」が65歳で訪れて旅立たれることに成っていました。


誰も奥様の人生のことなど知っている人は居なかったのですから、ご主人も共に白髪に成るまで連れ添えると思っていたでしょう。また、発症の時に手術の可否も迷われた末の選択で有った筈です。
迷いに迷った選択でも結果的には奥様の人生はシナリオ通りだったという訳です。

言い換えれば、生まれた時には、すでに奥様の人生の出来事も時期もすでに判っていた事になります。
そして、迷いに迷った選択もシナリオに定まっている選択をされたということです。

もし、このシナリオを発症前の若い時期に知る機会が有ったのなら、人生はどのように変化していたのでしょう。もしかしたら、紫微斗数で鑑定する機会など与えられないシナリオだったのかも知れないです。

「必定」とは、そういう機会も与えられないのかも知れません。


ただ、今になって言えることは、発症の時期も亡くなる時期も決まっていたということだけです。

当然、ご主人の命盤も同じシナリオが定まっています。三人の娘さんの命盤にも同じことが・・・。


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母の人生 ②

母の人生 ②

母は、最初の離婚で東京下町の暮らしから離れて実家に出戻った訳ですが、当時は出戻りの娘が実家に居るということは世間体が悪く、実家にずっと居ることなど許されなかったようです。
母の父親は次の再婚先を直ぐに探していたようです。
そんな時に、どんな縁が有ってか、現在の私の実家に嫁いで来たのです。


そこはバスも通っていない田舎でした。
嫁ぎ先となった私の生まれた家では、父は先妻に幼子を残され先立たれていて、お婆さんとお爺さんと父と二人の子供(娘と息子)の四人暮らしの百姓家でした。
お婆さんは非常に厳しい正確で神経質で短気だったようです。お爺さんの方は若い頃は職業軍人で婿入りでした。性格は穏やかで温厚で少々の事では動じない性格のようでした。
短気のお婆さんと呑気なお爺さん、性格は真逆でした。家業の百姓のことはお婆さんが仕切っていたようで、お爺さんはあまり口出しをしなかったようです。


母の新しい夫は、お婆さんの性格を引き継いていたようで神経質で短気でしたが、外面は真逆で大人しく口数も少なく真面目に糞が付くくらいに几帳面で、冗談なんて誰も聞いたことが無かったようです。しかも姉妹は多くて唯一、男として生まれた夫は一家を支えなければ成らない重要な存在だったのです。
でも幼少期はだいぶ甘やかされて育ったらしいようです。それは命盤の行運で判りますね。
唯一の一人息子ですから鬼のようなお婆さんでも、実の息子は目の中に入れても痛くないほど可愛かったのでしょう。
よくあるのが、一人息子に母親がいつまでも引っ付いて「子離れできない母親」のパターンだったのでしょう。このような息子が結婚をすると妻よりも母親の方に引っ付く傾向が出やすいですね。
今で言う「マザコン」かも知れません。

夫の母親は早くに亡くなったようです。



私が生まれた時の母の年齢が36歳で、母は再婚後に私も含め3人の男の子を授かりました。長男は私より10歳は上ですから、逆算すると母が再婚で父の所に嫁いだ年齢は26歳ぐらいという事になります。
其の時には、お姑婆さんは居ました。でも私が生まれた時にはお姑婆さんは亡くなっていましたので、お爺さんの年齢などから推測すると、お婆さんの亡くなったのは、母が嫁いで来てから5~6年後ではないかと思います。私の兄たちは、ほぼ年子で、私より8歳ほど離れていて、子供なんて忘れた頃に私が生まれたようです。それも父親が予期せぬ妊娠で。


父には先妻の娘と息子がおり再婚時には10歳ぐらいだったようです。
母はかなり厳しい環境の中へ嫁いで来たようです。
今のように嫁ぐ本人の意志などまったく考慮されない、猫の子をやり取りするような時代でしたから仕方なかったのでしょう。

父と母の命盤を比較すると、母の方が相当に厳しい人生ですけど、よくもまあ耐えたと感心します。父は82歳、母は93歳まで生きました。父は母より5歳は年上でした。



母が再婚で嫁いで数年は、夫が横浜の客車の大工仕事に行くことになったので、母も一緒に横浜に住みました。その時はいわゆる新婚生活で先妻の二人の子供は実家に置いてお爺さんとお婆さんが面倒を観ていました。母にとってこの2年ほどが一番幸せだったそうです。
夫は優しく大人しく短気なところは微塵も無かったそうです。夫は一日の仕事が終わった後には必ず手土産に寿司折り弁当を母に買ってきてくれたそうです。

横浜新婚生活で再婚後の最初の長男が誕生し、さらに1年ぐらいして第二子の次男を身籠ったようです。
そして、二人の息子を授かった頃、実家から親が(お姑婆さん)が弱くなったので田舎に帰って来いと催促が有り、夫と母は二人の幼子を連れて実家の農家に引き上げてきました。



田舎に帰ってからは生活が一変しました。毎日がお姑婆さんの監視下に成り常に厳しい目が光、母にしてみれば想定外の文句や小言が浴びせられ、もともと大人しく忍耐強い母は言い返すこともなく黙って居るものですから、短気の婆さんからすれば益々腹が立ったのでしょう。ついには手が出るようになり、終いにはお婆さんが手にしている杖や農具で殴りつけることも日常になったようです。
そんな状態でも夫は、何一つかばってくれることは無く、母はただただ耐えるのみでした。

母は、その時思いました「先妻が早死したのも無理は無い・・・」と。
「自分は何が有っても死ぬまい、意地でもこの婆さんより長生きしてやる」そう誓ったそうです。

そんな地獄の日々でも、夜になると夫婦は部屋を共にして休むことが出来ました。
ただ、あまり広くない一部屋に先妻の子供が二人、母の子供が二人、合計6人が「川の字の如く」になって眠る訳です。

父もまだ若いですから、男の生理的欲求は溜まります。夜な夜な子供たちが寝付いた頃に母に覆いかぶさってきます。しかし、この頃からの母は父に対する気持ちが少しずつ離れ始めていました。それは日中の厳しい労働と婆さんの仕置が原因です。
それでも夜の努めは女の義務と耐えて居ましたが、ある夜の最中に母がふと目を開けると目の前に覆い被さるように4つの目玉と目線が合い、母は仰天しました。

暗がりでよく見ると、それは12、3歳にもなる先妻の娘と息子が起き出して正座して手を付き、四つん這いになり、母と父の営みを観察しているのです。母は父を激しく払いのけると何か激しく罵ったようですが、何を言ったのかは記憶に無かったようです。



そんな事が有った翌日の夜から母は自分の実子二人を連れて離れの家で寝るようになりました。

父は、それ以来二度と母の肌に触れることは無かったようです。


<続く>


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母の人生 ①

母の人生 ①

太限官禄と太歳官禄が忙しいと日々の予定もびっしりになってしまうものですね。
Blogも続けて更新が出来なくて・・・。

前回までの記事で父とお爺さん、そして母の事について命盤を添えて説明しました。
今回は、もう少し母の事を書きたいと思います。
母の事を綴っていくと、父もお爺さんも登場人物となって物語に出てきます。
この物語はあくまでもノンフィクション実話です。


母と父は再婚同士で、母の初婚の夫は不甲斐ない男で実母と二人で東京の下町の長屋暮らし、そこへどんな縁が有って嫁いだのかは知りませんが、新婚から8畳、一間きりの長屋に三人暮らしになりました。その一つしか無い部屋には台所もトイレも風呂も無い、本当に部屋がガランと有るだけのものです。日中はまだ良いのですが、就寝する時間になると夫と嫁とお姑が「川の字」の如く三人並んで寝るのだそうで、夫は母親が寝付くのを待って、嫁の布団に忍び込んでくるという日々の状況であります。「声を立てずに」、そんな言ったって、ゴゾゴゾ衣摺れする音はしますし、絶頂期になれば否応なしに吐息も荒くなる訳で、それを狸寝入りのお姑は密かに聞いている内は良いのですが、成れてくるとお姑はちょいと起き上がって、息子の営みを観ているというのです。

部屋の中は灯りが無く真っ暗ですが、隣家の灯りや街灯の灯りが僅かに窓から入っているものですから、それはそれは暗闇といえども営みの様子は判るのでしょう。その内に息子は我を忘れ布団を蹴飛ばすものですから、嫁と息子の顕な肌が薄明かりに浮かんで観えるのです。母は最初そんなことは気付かなかったそうで、しかし、ある時、ふと最中に目を開ければお姑が覆いかぶさるように覗き込んでいる、その目と目が薄明かりの中で合ってしまったのです。母は思いっきり冷水を掛けられた思いになったそうです。

もうそれ以来、夜を拒否し続け夫婦の関係は悪化の一途という訳です。夜の関係は早々終焉になったのですが、子宝は授かり男の子を出産しました。

夫は毎日毎日、大八車で雑貨を挽き売りして日銭を稼いで居ましたが、大した収入には成らずに、夕食は家族三人が一匹の秋刀魚を長屋の共同炊事場の七輪で焼いていたそうです。

母の実家は一応裕福の家でしたので、そんな生活が長く続けられる訳はなく、実家の父に手紙を書いたら、父は「直ぐに帰ってこい」と、それから数週間の内に密かに迎えに来て、夫もお姑も出かけて留守の日を狙って、まだ乳飲み児の男の子を置いて出てきてしまったのです。
本当は子供を連れて来たかったのですが、父親がどうしても「連れてきてはダメだ」というので泣く泣く置いて来たのです。

東京から山梨に向かう蒸気機関車に載り、何時間も掛けて笹子の峠を越えます。東京を出たのは午前中で父親が「可哀想なことをした」と東京見物をさせて滅多に食べたこともない美味しいお昼をご馳走してくれ、機関車に載ったのは午後1時頃。それから笹子の峠に差し掛かるのは夕日も山陰に入るような頃です。気が付けば胸の乳房が張って仕方がないのです。もうその乳房を欲しがる幼子も居ないと思うと涙が止まること無かった。
その幼子も生きていれば80か90歳でしょう。



<続く>


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蔵前姑獲鳥殺人事件 耳袋秘帖 (文春文庫)
文藝春秋
風野真知雄

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母の命盤

母の命盤


画像



父とお爺さんのことはすでに書きました。
今回は母のことです。

父の性格や行動から離婚率は高い筈ですが、父の命盤には欽天でいう離婚率はそれほどでも無いです。そのためか死ぬまで離婚は有りませんでした。でも壮絶と云えばよいのでしょうね、私が中学生の頃に、私はしきりに母に離婚を薦めていました。
「お母ちゃん、こんなオヤジとさっさと別れて、俺と二人で何処か別の所に引っ越そうや」
母は、黙っていました。

当時の時代では離婚しても女性が独り立ちしていくのは大変でしたし、何人も子供を授かっているし、田舎だし、簡単に離婚という訳には行かなかったと思います。

母は「貪狼」の女性で命宮に「生年化忌星」です。器量も今風の容姿では有りませんでしたが、そこそこ桃花傾向は有ったと感じます。

兄弟宮に「自化忌と必定」が有ります。母は9人兄弟姉妹の長女で生まれました。
しかし、最初に亡くなった妹は母が5歳ぐらいの頃、母が背負って子守をしていたら気付かない内に背中でぐったりしていて、おばあさんが慌てて病院へ連れて行ったけど、もう虫の息で、そのまま亡くなったそうです。母も妹の死因については解らなかったと言っていました。もしかしたら熱中症だったのかも知れません。

残った8人の兄弟姉妹は成長して、兵隊に行って戦死したり、北海道に出稼ぎに行っていて病死したりと様々な事で次々に亡くなり、母が60歳ぐらいの頃には、一番下の末っ子と長女の母だけの二人だけが生き残っていました。

その末っ子の弟も30歳代に肺結核に罹り手術をして九死に一生を得たのです。しかし闘病生活は長く、結婚していたので奥さんには苦労をかけたようです。弟は退院後も病弱で肉体労働は無理でお爺さんの家業を継いで経師屋さんになりました。しかし、50歳代の時に病気(誤嚥性の急性肺炎?)で急死してしまいました。私が30歳代の時でした。亡くなる前の日に私の家に立ち寄りお茶を飲んで、いつものように1時間以上も談笑して元気に帰って行ったのです。
翌朝、従兄弟からの悲報を聞いた時は、とても信じられませんでした。

母は9人兄弟姉妹の長女で生まれましたが、70歳代後半で一人ぼっちになりました。8人の兄弟姉妹は全員短命でしたが、何故か母は80歳近くまで元気で、お産以外には寝込んだことは無かったと自慢していました。
80歳代になって高血圧が原因の脳卒中で倒れ、3ヶ月の入院後に左半身不随になりました。その後は父も亡くなり、母は私の所に引き取られ同居した後に、今度は私が離婚したので母と二人でアパート暮らしになって、さらに部屋で尻もちを付いたのが原因で骨折し、歩けなくなり老人保健施設を何箇所も点々と引っ越した挙句に、やっと特別養護老人ホーム(特養)に入れました。

老人保健施設では最長3ヶ月しか入所して居られないので、何回も引っ越しをしました。特養に入居が決まった時には、母は大変喜びました。その理由は、衣食住の心配がないからです。私と同居では、私が仕事に出掛けている間は、朝から夕方まで半身不随の身体で、食べることも、トイレも、思うように成らないからです。本当に試練の年月でした。当時は介護制度も無くて、ディサービスも訪問ヘルパーも無い時代でしたから。


母は父と同じように離婚歴が有ります。
父と再婚後も家庭には恵まれず、兄弟宮、父母宮で判るように、実の母親も短命でしたし、父の姑には徹底的に苛め抜かれたと言っていました。父の先妻も苛め抜かれ、胃潰瘍で早くに亡くなったそうです。
姑のイジメは棒で殴ったり蹴飛ばしたりと、今で有れば警察沙汰です。母の実家は小さな商売をしていた家ですから、母に農業の経験は有りませんでしたから、嫁いで来ても農具を旨く使えなかったのです。それに姑は腹を立てては日常的に殴る蹴るの暴行をしたと言っていました。

さらには食事もお爺さん、父、母、子供が5人の大家族ですから、十分に食べる量は無く、母の食べる分は無かったと口癖のように私は聴かされて育ちました。そんな話を私は日常的聴かされて育ったので、父の姑の写真が鴨居に掛けられていても、観るのが大嫌いでした。実際に恐ろしい人相の白黒写真が鴨居に有りました。性格や人生は人相に現れるのですね。父も姑にそっくりの人相をしていました。そして父も母を殴っていました。


母は普段から食べるものに不自由していましたから、それがトラウマになっていたのでしょう。私と父と母の三人暮らしになっても、母は食べ物に異常なほど執着し、食べ物は大切に少しずつ何日も掛けて食べ続け、しまいには腐ったり、カビたりしても決して捨てはせずに全て食べきっていました。

腐って悪臭を放っている食べ物を、私は母に見付からないように家の側の畑に、こっそりと埋めてしまうのですが、母は食べ残しの物が、食べていないのに減ってしまった事に敏感に気付き、私に問いただし迫ってきます。
「孝宏! 何処へ捨てた?」
「そんなの知らんよ」
「嘘つけ! お母ちゃんが勿体無いから大事にしていれば捨ててしまって・・・」

そう言って母は畑に探しに行きます。もう何回も私が、そうやって捨てているので、畑に行けば捨ててあるということを知っているのです。
そして、畑から掘り起こして、家に持ち帰るものだから、私はびっくり仰天です。
しかし、感心します。そんな腐ったものでも絶対に下痢も食中毒もしないのです。
例えは悪いけど、猫や犬、あるいは野の獣のような消化器官の持ち主と思います。もっとも最近の猫や犬は、そんな物を食べさせれば死んでしまいます。


母の9人兄弟姉妹が全員短命でも、母は93歳まで生き抜く強い生命力の持ち主でした。使い切らなかった9人の弟や妹の寿命を母は全て戴いたのでしょう。だから、姑や父に拷問のような虐待をされ続けても長生きが出来たのでしょう。そんな人生であっても母は穏やかで優しい人でした。私も今、見習っています。

その「勿体無いの精神」は、今私が引き継いでいます。いくらお金が入っても食費は1~2万円に押さえています。これは我慢では有りません。必要としないのです。奈落に落ちた50歳代は月に8千円の食費でしのいでいました。断食なんてしなくても、日々断食生活でした。
そこまで奈落を体験すれば、今は何が無くても幸せに満たされている日々です。


私が物心付いた頃には、父は日常的に卓袱台をひっくり返し、茶碗を投げては暴れていました。
そんな父は財布を握っていましたから、母に家計費は一切渡していませんでした。
毎日の食事の材料は基本的に家の前の畑に有る野菜が中心です。

肉や魚は盆暮れ正月以外には食卓に載りません。唯一、鶏を飼っていましたので、新鮮な玉子は毎日食べることが出来ました。鶏は何羽も飼っていましたが、鶏を殺傷して食べることは有り得ませんでした。
鶏の肉が食べられる時は、鶏が病死した時だけです。ところが、病死した鶏は物凄い悪臭がするのです。死臭なのかも知れません。幼子の私は鶏の肉は物凄い悪臭がするものと思うようになって居ましたから、大人になっても絶対に鶏肉は食べることが出来ず、大嫌いでした。

私は20歳になった時に結婚をしました。嫁さんの実家では鶏肉以外は家族全員が食べない家でしたので、実家に行くと必ず鶏肉が出ます。私にとっては地獄でした。嫁さんの家族は豚肉や牛肉は大嫌いでした、まあ、夫婦仲は最初から悪く、親の因果は子に引き継がれるものですね。なぜ、こんなで結婚したのかは、後々記事にします。


さて、母は一切の家計費も小遣いも夫から貰えなかったので、女性としての最低限の衣類も買うことが出来なかったのです。そこで見兼ねたお爺さんが息子の居ない留守に、こっそりと母に小遣いをあげていたのです。お爺さんは軍人年金が有るのでお金には不自由していませんでした。
ただ、お爺さんがあげた小遣いで母が何か買って、その品物が父の目に留まれば、お金の出処を追求されタダでは済みません。また殴る蹴るの暴力です。そのため母は何かを買っても、いつも父に見付からない場所に隠していました。衣類などは何処かに出掛ける時には、小物入れに忍ばせ、普段着で出かけて、部落を出た山の中で着替えて行ったと言っていました。また帰って来る時も山の中で薄汚れた普段着に着替えるという面倒なことを日常的にやっていました。

しかし、それでも困った事も時々有ったそうです。よそ行きに着替えた後に部落の人とすれ違ったりすると、その人が父に「奥さんは、今日は何処かにお出かけだねえ、お洒落してすれ違ったよ」なんてバレてしまった事も有ったそうです。
ですから、それ以来は部落から遠く離れた山の中や河原の大きな岩の陰で着替えたそうです。


私が中学生や高校生になると、どうしても肉や魚を食べたがるので、母はお爺さんから貰った小遣いで近くの行きつけのお店でハムなどを買って来ますが、それを父に見付からないように食べなければ成りませんから、母はハムを茶碗の底に置き、その上にご飯を被せてハムが見えないようにして食べさせてくれました。
しかしそれでも母は細心の注意を私に躾けました。
ご飯の中からハムを掘り出して食べる時も、「父にハムが絶対に見えないように」と、更には「ハムばかりでご飯を食べないで、卓袱台のおかずに箸を出しなさい」

そうしないと不自然だから、漬物なども食べながら自然に振る舞うこと。と強く言い聞かされました。そんな食べ方をするので、私は食事が窮屈と緊張で、もの凄く疲れました。でもハムは大変に美味しかったです。今に成れば母に感謝です。

また、母はハムを買う事が、お店の人から父にバレないように買い物の事は内緒にして貰っていました。


こんな状態ですから、私が高等学校に行くようになって学費を持っていく時にも、父からは毎月文句を言われていました。その時、私は毎回も叫びたかったです。

「子供に学費を出すのが、そんなに嫌なら、俺を何故産んだのだ! 馬鹿やろー!」


<続く>


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占い師は仙人じゃあない

私が紫微斗数を学び始めた頃に教室で耳にした話です。
教室にはプロの占い師さんが30人ほど集まっていました。
初めて占いの教室に参加した私にとってワクワク、ドキドキする瞬間でした。元々占いなんていうものに興味も無かったし、占って貰うことも無かったのだから、未体験の世界です。
そもそも、占い師という存在が神がかり的で特別な人間の集まりと思っていました。
しかし、そこに集まったほとんどの人たちは一見普通の人達でした。
中には若かりし頃の「シンディ・ローパー」を彷彿とさせるジュエリーや宝石をジャラジャラと身にまとった摩訶不思議な雰囲気のお姉さんもいましたが、特別雲の上の人を感じさせる人は居ませんでした。

教室の回を重ねるうちに、皆さんの話題から、占い師さんといえども普通の人から超オタクの人まで個性あふれることも分かってきました。
そんな中で、「僕は一切テレビや新聞も観ない、そういうメディアの媒介に惑わされないことが大切だ」と胸を張って言われる方がいました。私は「凄いなあ、やっぱりプロの占い師さんて仙人みたいな感じで俗世のことには無関心というか振り回されないんだ」と感心しました。

しかし、あれから何年も経過し私もプロの仲間入りをして、何千人もの方々の様々な人生に関わらせて戴いて、強く感じたことは占い師は仙人なんかじゃ勤まらない、ということを強く感じました。
どうしてかと言うと、ご相談に来る人達が苦しんでいる世界の事に無頓着であったなら、ご相談者さんの悩みすら理解出来ないでしょう。ということです。
貧困の悩みを扱うなら、なぜ貧困に成るのかという社会的な仕組みや背景も理解していないと、ただ単に相談者さんの精神論を云々していても解決には結びつかないと感じます。

様々な事件も今は発生します。昔は有り得なかった事件も多くなりました。これもただ単に運命の吉凶を云々していても何の解決にも導けないと感じます。
つまり理論だけでは解決にならないということと思います。

社会的な背景、俗世の事情が判っていないと、何故そうなるのかも理解出来ないと思います。俗世の状況に、その人が持っている性格や運勢、運命が化学反応するみたいにして様々な出来事、事件、災難が発生すると感じます。

したがって、私はテレビのニュースもドキュメンタリーもよく観ます。

雲の上の仙人や、山奥の仙人で居たなら、俗世の人たちにアドバイスなど出来ないと思います。絵に書いた餅は食えないのだ。

お爺さん

お爺さん

前々回の記事に、私の父(?)のことを書きました。
親子の本当の事が解ったのは私が50歳代になってからです。

物心付いた頃から、良い思い出は皆無でした。毎日が修羅場で、今に例えればイスラム国が活動する中東みたいな毎日でした。

そんな毎日でもホッとするつかの間がありました。それはお爺さんと過ごしている時間でした。
3~4歳だった頃と思います。今でも脳裏に焼き付いている情景は、お爺さんはこげ茶色の着物を着て縁側に腰をおろし、黒い鉄製の南瓜ぐらいの大きさの煙草盆を側に置き、長い煙管にひとツマミの刻みたばこを詰め込んではマッチで火を付ける姿です。
火を付けた後は2~3回吸えば、灰になってしまうタバコを煙草盆の縁に、キセルをポンと打ち付け、赤い小さな火の玉の塊がコロコロっと煙草盆の中に転がる。こんな光景を朝から何回も繰り返し見ていました。まあ私も飽きもせずに眺めていたものです。

タバコの品名も今でもしっかり覚えています。総天然色カラーの映像で覚えています。それは「みのり」といって稲穂のデザインの刻み煙草と、「ゴールデンバット」といって動物のコウモリの絵柄のタバコです。時々「しんせい」なんていう名前の刻み煙草も吸っていました。
いずれも値段は、何十円で100円以下でした。タバコは直ぐに無くなるので、お爺さんは私に十円玉を数個握らせ近くの雑貨屋に買いに行かされました。
タバコを買いに行く時は、お駄賃に何か買っても良いことに成っていました。大概は駄菓子とか飴玉です。一個1円ぐらいです。駄菓子屋さんまで自転車で行けば5分ほどですが、4歳程度の子供の足ではメッチャ遠い所に思えました。タバコ買いに行く時は遠いので嫌でした。でもよく素直に買いに行っていたものです。
私がある程度大きくなった時にお爺さんは亡くなりましたが、その時に雑貨屋さんに買い物に行きましたら、雑貨屋さんのおばさんが「孝宏ちゃん、良かったね、今度からタバコを買いに行かされなくてねえ」、私はそんなに嫌な顔をしてタバコを買いに来ていたのか。

お爺さんは、とても穏やかで怒っている姿も、怒られたことも記憶がありません。
でも、冬にはコタツでお爺さんの膝の中に入って抱っこされている時には、お爺さんからは必ず日露戦争の活躍した話を聞かされ、勲章の入ったA4サイズほどの桐の箱を開けて見せてくれました。中には布のリボンみたいな物が付いたバッジのような物が幾つか並んでいました。

お爺さんの日露戦争の話は、「旅順攻囲戦」といわれるものだったが、当時の私にはチンプンカンプンだった。ただ覚えているのは、お爺さんは砲兵隊の大砲係で、大きな山越えで、山の向こうの港の戦艦を沈めたり、山の上の敵の大砲に命中させぶっ壊した話が多かった。
時には大砲の手入れをしていて、間違って大砲をぶっ放して上官に怒られた話など、如何にも嬉しそうに話していた。小さい頃、実家の押し入れの天井付近の棚に日本刀が有った。鞘を抜いてみればボロボロに刃毀(はこぼれ)れした日本刀だった。お爺さんの話では敵兵を何人も切り捨て、その際に骨まで達したので刃がボロボロになったと聞かされた。小さな私は実際に人を斬り殺す、そんな光景を見た訳でも無いので、恐ろしいとかいう感情は沸かなかった。ただ、すごくカッコいいお爺さんに憧れたものだった。

今になって思えば、とんでもないことである。本物の実戦に使った日本刀が家に有った事自体、ヤバイじゃんと思う。しかし、その日本刀は短気を起こして暴れる父が刀を抜いて年中振り回すので、お爺さんが何処かに処分してしまって、私が小学校に上がる頃には行方不明となっていた。

父(?)は第二次大戦中も身体的に小柄だったらしく兵役を免れ「赤紙」も来なかった。大工でもあったので横浜の機関車の客車の木工大工として実家を離れていた。小度胸なので兵役は無理であったろうとも思う。それなのに日本刀を振り回すのだから凄いのだ。
一方で大変に穏やかなお爺さんが武勇逞しいのだから、4歳の幼子も惚れてしまう訳である。

そんな、お爺さんも終戦とともに家に帰り普通の爺さんになったのである。
お爺さんは婿入りで、農業はあまり得意では無かったようだ。職業軍人らしくて兵役引退後はたいそう高額な年金を貰っていたようでお金には不自由しなかったらしい。農業を手伝う訳でも無いので、部落や村々を歩き回って結婚の縁談話をまとめるのが大好きで、何組も世話をしたと、私が大きくなってから部落の人から聞いた。

今の私の人相は、そのお爺さんにそっくりに成ってきたので、内心嬉しいのである。
ちなみに父に似ていなくて・・・なのだ。

お爺さんは、私が小さい頃は常に一緒に居てくれることが多く、小学校に上がってからも遠足にも必ず一緒に行ってくれたし、参観日にも母親が来れない時にはお爺さんが来てくれた。
父親参観日にも、父(?)はコタツでうたた寝し、お爺さんが父代わりに来てくれた。
本当に母子家庭みたいな感じの幼少期であった。

紫微斗数で診ればお爺さんは命宮に「武曲・天府」遷移宮が「七殺」ではないかと思う。

お爺さんには感謝している。


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ちょっと、お知らせ

ちょっと、お知らせ

Blog更新しますと、仕事が忙しくなるというのも太限、太歳の官禄宮に「化禄星」飛星する流年鑑定法の法則の通りと感心します。お陰様で、続きのBlogの更新が滞ってしまうという事になってしまい、申し訳ありません。

ところで、今日はちょっと取り急ぎのお知らせです。
前から気付いていて、変だなあ? と思っていたことですが、あまり公には言えないことなので、この記事を観た方は、ご自身で試してみてください。

紫微WIN-EXで命盤を作成される方は多いと思いますが、実はこのアプリ、「閏月」の算出法に多少、従来の方法と違いますので参考にしてください。

日本の紫微斗数の書籍では先ずは最初に命盤の作成手順が当たり前に記述されています。
その中に「閏月」の取扱が有ります。
もっとも、プロの紫微斗数の占術師の方でも月運は一切診ないという方も多いようですが、もし月運も診られていましたら参考になるかと思います。
私は太限や太歳が凶でしたら、しっかり凶の月を探しますが。

このアプリでは「閏月」は、そっくり後ろの月に引っ付けて、およそ60日間にしています。

本来は、「閏月」は真ん中の「15日辺り」で2つに分けて、前半は前の月に引っ付け、後ろ半分は後の月に引っ付けます。そうすることに寄って、閏月は前後に半分ずつ分けられて、45日ずつになります。
今年の例では、6月24日~8月10日頃、8月11日~9月19日というのが正規の方法で算出した場合です。アプリでは、6/24~8/21、8/22~9/19、で分けられます。

しかし、実際に大きな事故や災難が、今年この時に起こった事例を観ると「8月10日」で分けた方が正解です。前の月が30日で、8月22日から後ろの月が60日になるというのは、如何にも不自然です。
ちなみに、このアプリを監修された先生は西村天然先生ですが、いろいろ調べて観ましたが、この先生の資料が見当たらなくよく判りません。

私が調べた限りの多くの書籍では「閏月は真ん中から分ける」という方法しか見当たりません。
台湾の書籍も観ましたが、今現在まだ見当たりません。
あまり、重要ではないかも知れませんが、参考になさってください。


父親の人生

父親の人生

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私の父親(戸籍上の?)の命盤です。
紫微斗数でも欽天派と新しい飛星派の鑑定法を学んだ方に分析して、検証して学びに役立てて頂けたらと思い、これから暫くの期間、私の幼少期の記憶を元に記事を連載します。

この記事の冒頭に「戸籍上の?」としたのは、私の本当の父親は家族の中の別の人が父親だったからです。このことは連載する記事の中で明かしますので、ここでは記述しません。

父親は姉一人と妹二人、三姉妹の中の長男として生まれました。つまり4人の中の男一人という訳です。三姉妹は嫁いだ後も苦労が多く、長男の父の所に年中愚痴を言いに来ていました。

ここで私のことを先に少し述べます。
私の一番幼少期の記憶は多分3~4歳頃と思います。或いはもっと小さかった頃かも知れません。
その根拠は母親の母乳を吸って呑んでいた記憶が有るからです。もう還暦も6年も過ぎたのに、母親の腕に抱かれて母乳を吸っていた時の乳房の記憶を鮮明に覚えているから不思議です。

母親の背中に背負われて、母親の実家の街にある銭湯に行った時に湯の深さが、私の首までの深さがあったことを覚えています。湯の中で母親に身体を支えて貰いながら湯の中に立っていたのです。それが銭湯だったと判るのは小学校に上がる頃だったと思います。母親は実家に私を背負い2時間ほども歩いて時々行っていました。当時は乗り合いバスも無かったようです。その度に実家の跡取りの弟の嫁さんと私の従兄弟を連れて四人で銭湯に行っていたのです。私はその銭湯をお風呂とは知らずに「海」と思っていたのです。
温かい湯気の立ち上る海です。水平線は湯けむりで見えなかった記憶があります。大勢の人たちが裸で湯けむりの中に居ました。まるで海水浴場のような記憶です。小学校に上がる頃に母親に、その光景を問うたら、それは銭湯だったという訳です。

そんな小さな頃の家庭の記憶を今でも鮮明に覚えています。
その当時の父親の印象は、「お父さん」という印象では有りませんでした。
率直な印象を言えば「大嫌いな知らないおじさん」という印象でした。他人という印象です。

その嫌なおじさんは、いつも短気を起こし母親を怒鳴っては味噌汁やご飯の入った茶碗を投げつけ、朝ごはんやおかずが載った卓袱台をひっくり返していた記憶が日常と覚えています。
いつも朝ごはんの時に短気を起こしては卓袱台をひっくり返していたのです。
そんな時に私はワンワン泣いていたのも覚えています。

何故、そのおじさんが短気を起こすのか、幼子の私には理由が判りませんでした。母親はじっと黙って耐えていたという印象です。

物心着いた時には、そんな日常でしたので、その短気を起こす叔父さんは嫌いになって行ったのです。その叔父さんは私に話しかける事は皆無でした。

その叔父さんの仕事は大工さんでしたので、家の庭でたくさんの材木をノコギリやノミで加工している姿を目にしていました。
好奇心旺盛の私はヨチヨチ歩きながら、叔父さんが仕事している所に近づくと、よく怒鳴られた記憶があります。近づくと怖い叔父さんでした。
ですから自然と、その叔父さんと距離を取っていました。私の実家は農業をしながら父親は大工でした。

当時の私の家族構成はお爺さんと母親、そして父親(戸籍上の)、兄が三人と姉が一人でした。でも直ぐ上の兄も私より遥かに年上で、私の記憶の中では一人っ子という感じでした。
兄たちの遊んでいる姿が記憶に無いのです。いつも兄たちは留守という印象です。唯一姉が私の子守をしてくれた記憶が有ります。

普段の私はお爺さんと過ごしていました。お爺さんは、もう隠居の身の上だったようで、のんびりと縁側や居間でキセルを吹かしていて、私はお爺さんの胡座(あぐら)をかいた膝の中に入っていた記憶が有ります。お爺さんに怒られた記憶は全く無く、可愛がられていたようです。私はお爺さんを大好きでした。

母親は多分、畑仕事が忙しかったのでしょう。日中はあまり姿を見なかったです。母親に叱られた記憶は一度もなく可愛がられていたと思います。最悪の家庭環境でもお爺さんと母親の愛情が、私の波乱の生涯にも大きな支えになっていたと今になっては思います。

父親は家ではもの凄く短気でしたが、他人からは穏やかで優しく生真面目で冗談なんて全く言わない大人しい人のようでした。面倒見も良いと評判だったそうです。

そんな父は母親には早くに死なれたようです。また父の先妻も十二指腸潰瘍で若くて亡くなったと聞いています。先妻はおとなしく控えめな女性のようでした。息子と娘を残して亡くなったのです。父の母親は非常に険しい性格だったと聞いています。父の父親は婿入りでどっしりとしたタイプで「武曲・天府」の男性と思われます。つまり私のお爺さんです。
お爺さんと父はあまり親しくなかったようです。

実家は父が青年期に隣家の火災で消失し、貧しかったので何とか家を自前で建てようと大工になったと聞いています。大工になって最初の仕事が自宅の建築だったようで、寄せ集めの材木で急ごしらえの感じの家でした。そのため、私が中学校の頃には家の土台は沈み家が歪んで傾いていました。

父は短気なのに、ひどく神経質で小度胸でした。部落の集会などに行っても黙って大人しくしている人だったということです。意見を求められれば言うけれど、自分からは発言することは少なかったようです。ただ頼まれると断ることは出来ずに何でも引き受けていたようです。そしてそのストレスが家庭内で発散していたのかも知れません。
神経質で何でも気にするタイプだったので、些細な事でも心配で居られなかったようです。一方で母親は「貪狼」の女性で、父とは真逆のタイプで気に病むということは無かったようです。それがまた父の気に障っていたのでしょう。父は日常的に母に「剛の牛」と言って馬鹿にしていました。確かに母は「丑年生まれ」でした。また母に対して先妻のことをよく褒めては、「お前は駄目な女だ」というのを小さな私も耳にしていました。母にしてみれば気分の悪くなる事だったでしょう。しかし、そんな事に言い返す訳でもなく黙って耐えていたという印象です。

父は本当に苦労性で気の毒な人だったと思います。私の印象では楽しいことは嫌いな人、という印象です。長男がラジオで落語や歌番組を鳴らしていると、父は「聴きたくもない!」といってラジオをのスイッチを切っていました。
私が今、占いをするように成って父の人相や父の母親の人相を診ると、大変に寂しい険しい人相をしていました。やはり人生は人相に現れるのです。一方でお爺さんや母親の人相は穏やかで幸せそうな人相です。

父は年中、一生涯「自分は癌に成るかもしれない、もう癌になっているかも知れない」と常に気にしていました。しかし、82歳で亡くなるまでに癌などには一度も成りませんでした。もっとも神経性の胃腸炎には年中なっていたようです。
冷え性でもあって、真夏でも腰が冷えると口癖でした。超低血圧で上が60程度で下は計測不能ということもしばしばでした。その一方でコレステロールは高く、これは遺伝的なものでしょう。
70歳には認知症が始まり、75歳には日常生活は出来なくなっていました。
50歳ぐらいで不眠は有り、悪夢もよく観ていたようです。夜中に大声で叫んで寝ぼけていました。
外では極めて大人しい人ですが、喧嘩をしている夢をよく観ていたようです。深夜に怒鳴り声を上げていましたから。外では対人関係で、もの凄く我慢していたのでしょう。
幼少期の私には父が、そんなに悩み多い人生と露とも知りませんでした。

私は父を嫌って避けて居ましたが、結局は末っ子の私が実家に残り両親を診るようになってからは、父も私に話し掛けるようになり、私の自営業の仕事も手伝ってくれるようになりました。
その頃には私も父の事を何かと気遣い病院に連れて行ったり、話し相手になっていました。
最終的には戸籍上の父親でも仲良しに成れていました。

幼少期からずっと他所の嫌なおじさんでしたが、最後には父親として受け入れることが出来た私も幸せでした。父もきっと嬉しかったと思います。私の出生も父は許せたのでしょう。


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隠れ「必定」?

隠れ「必定」?

紫微斗数といっても「欽天四化紫微斗数」という命術は、紫微斗数の中でも独特で、三合派や飛星派と同じ紫微斗数の命盤を使いますが、欽天では命盤をひと目見て、その人の人生に大きな出来事や確定的な事が起こることが分かるので便利です。そんな便利な命術ですが、「絶対論の必定」が命盤に無い場合でも、廻る太限(10年運)や年運、月運の象意が強く重なる場合にも「必ず事象発生」が有りますから、このような出来事は命盤から発見しなければ成りません。

しかし、「絶対論の必定」は命盤をひと目見て判りますが、太限、年運、月運を全て飛星して調べる「必定」はなかなか見付けられない場合も有ります。

廻る年月の運勢は、基本的には太限を先ず調べて、その太限に特に凶意が強い場合には、さらにその太限10年間の1年毎の年運の吉凶を調べます。さらに一番凶意の強い年運を、月ごと12ヶ月を全て調べて、最終的には西暦何年何月と特定します。


こんな例があります。
ある男性の仕事運を鑑定した時に、太限の仕事運は悪いが、その年の年運は悪くは無く、翌年が悪い事がありました。
私はその年は悪くないので、悪い翌年の月運を全て調べだしていましたが、悪い事象発生は、その前の年に起こりました。
それは、月運の悪い時に発生しました。
つまり、太限は悪いが年運は普通、しかし月運の悪い月に出来事は起こりました。
普通は「天地人が揃う」といって太限も年運も悪い時に出来事は起こることがほとんどですが、そうとも限らないと感じました。
太限が悪かったら、年運が普通でも月運で悪ければ出来事が起こるとも言えます。
これを探し出すのは容易では有りません。


目次の無い、分厚い本の中の特定の文章を1ページずつ探してゆくような作業です。
これが、目次が有ればいきなりその文章の有る所に近いページを開くことが出来ます。

紫微斗数の鑑定では、多分ほとんどの鑑定士は太限と年運ぐらいしか観ないと思います。その場合にも基本は悪い太限を探し出すことが優先です。悪い太限が見つかれば、その太限中の年運を10年分調べれば良いのです。
悪い太限を探しても、その中の年運が普通なら、その年は気にしないと思います。まさか普通の運勢の年の月運が悪い時に発生は予想もしないでしょう。

このように太限と月運だけで凶意が重なっも事象発生は有るということです。これを「隠れ必定」と言ってよいかも知れません。


このように、一生涯の年と月の運勢を調べだす事は容易ではないのです。

詳しく年毎の運勢を知りたい場合は、毎年直近の年運と月運を1~2年毎に調べる方法が良いです。



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鑑定ご依頼以外の発見もしてしまう

鑑定ご依頼以外の発見もしてしまう

紫微斗数の鑑定のご依頼の内容は、ある特定の事についてのご相談もあれば、全体運を観て欲しい、という内容で有ったり、家族関係の問題で有ったりと様々です。そのようにご相談の目的に合わせて紫微斗数の命盤を鑑定しますが、欽天派の鑑定法を使っていますと、ご相談内容とは全く違う問題も観えてしまうことが多々あります。

例えば、今後の財運を観て欲しい、或いは仕事運が良くなるのか? という内容などもよく有ります。そんな時、もちろん財運や仕事運を優先して観ますが、しかし命盤をひと目見て「おや?」と思うことも、これまたよく有ります。

それは命盤に「必定」の条件が見られる時がよくあるからです。そんな時、自然と「何が起こるの?」と頼まれてもいないのに、つい調べてしまいます。

そして、それが重大な出来事だったりする場合は、ご相談内容も調べますが、重大な出来事に関しても調べてアドバイスをさせて頂くことが多くあります。

私にはどうしても、これから訪れるであろう重大な出来事を放って置けないのです。余計なお節介かも知れませんが、気を付けて欲しいことを洗いざらい告げてしまいます。

そんなことをしていると、鑑定時間はアッという間に2時間は過ぎてしまい焦りますが。

本当は何回にも分けて鑑定に来て頂ければ良いのでしょうけど、これも私が持って生まれた財帛宮の貧しさなので仕方が有りません。



一般に財帛宮に「主星の無い」方はお金に執着しない傾向が強いです。このような方は金儲けが下手ですから、商売にはあまり向きません。このような方は金儲けよりも、夢中に成れる仕事を探す方が良いでしょう。そうすれば自然とお金は就いて来てくれます。


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四化星の本当の意味

四化星の本当の意味

紫微斗数には独特の「四化星」という星があります。
日本の書籍では、この四化星について表面的な象意しか触れていません。

例えば

「化禄星」
福徳・財・物質・享楽の意味を持ち、「人との良い縁や財縁をもたらす」とされ、命宮に入れば人生は素晴らしい、などと書かれています。
しかし、多くの人々を鑑定してみて命宮に「化禄星」を持っていても幸せでない人もたくさん居ます。書籍が間違っているとは言いませんが、本当の意味が書かれていないからです。
化禄星は対人関係が旨く出来ている人には冒頭に述べたような吉祥の作用がもたらされると言って良いでしょう。しかし、命宮に化禄星を持っていても育った環境などから対人関係に問題の有る人の場合は化禄星の作用はあまり現れません。台湾では「化禄星は絵に書いた餅」と云われる所以がある訳です。
本当の化禄星の意味は「人縁を持って助力の得られる星」ということです。それを裏付けるように命宮に化禄星の人は一般的に印象の良い傾向を持っています。女性ならば愛嬌が有って可愛い系になります。男性も好感度の高い傾向になります。


「化権星」
日本では権威・自己の権力の欲望・立場を主張し良い働きをする。ただし強引では苦労する。とされています。これはこの通りですが、これだけの解釈では命盤を読み解く上で足りない事だらけです。
本当の意味は次のような象意も持っています。
人に対しては意見を遠慮なく言える・権力・立場を主張し地位を欲する、このために指図したりして、これが行き過ぎると対人関係で摩擦を生じ挙句は口論、喧嘩、不仲ということが起こりやすく、怪我という意味も持っています。喧嘩をすれば怪我もするという訳で「怪我」という象意もあります。さらには手術という意味もあります。
また別の意味も持っています。自分の思いを遠慮なく言えるという結果から、仕事や行動において「頑張る」という意味も持ちます。
仕事という意味も有り、さらには「専門技術」という意味もあります。
深い意味では「カルマ」の星でもあり「絶対」という意味も含んでいます。


「化科星」
この星ほど勘違いして伝わっている星はないでしょう。「凶意を除く」などと最高の吉星扱いになっていますが、本当の意味合いは凶星でもあります。
次のような象意が有ります。
まずは「趣き」という意味が有るので日本で定説の学問・知識・名声・文章力という意味も有りますが、これは一部の宮に入った場合のみです。
深い意味は、桃花・色情・病気・鬱の意味合いも持っています。


「化忌星」
この星も勘違いして伝わっていると思います。日本では「大凶星」以外の何物でも無いでしょう。
「すべてに災いする」というのが定説で、相談者さんの中にも「生年化忌星」が有るといって悲観して訪れる方もいます。
本当の意味は「粘着・囚われ」と解釈する方が現実的です。ですから一概に「大凶星」などと解釈したら大外れになってしまいます。
粘着するが故に囚われて苦労するということになりますが、逆にこの粘着が「獲得や収蔵」につながり吉作用をもたらすことも多いのです。したがって吉星にも成りうるのです。
生年化忌星が他の自化や向心力と作用しないで単独で宮に存在するならば、その宮で粘着の作用を及ぼし、宮に寄っては吉作用になります。例えば官禄宮に生年化忌星ならば、仕事に囚われやすいともいえ、成果をあげられる可能性は強くなりますが、周囲との軋轢は生じやすくなる可能性も大きいです。このような人は組織での仕事より単独の仕事の方が良いと感じます。
官禄宮の生年化忌星は、仕事に拘りが出やすいために、天職に出会うまでは例え仕事の成果が出ても、何か満たされないなんていうこともあります。そのために転職もしやすいとも云えます。

命宮の生年化忌星は、性格的な部分で粘着の傾向が出やすく、これがあまり出過ぎると「変わり者」になって周囲との人間関係で苦しむ可能性も有ります。しかし、ほどよく作用すれば誰でも考えないような事に思いを巡らす傾向が出て、天才に成りうる可能性もある訳です。
こんなことを言っては語弊が有りますが、何かを極めたり天才と云われる人たちには凡人と違う思考、言動傾向が有り、特殊な成果は上げても普通の人と同じことが出来なかったりする。なんていう場合は、このケースになるでしょう。
化忌星は吉作用ももたらしますが、一つ間違えば辛い凶星にも成るのです。これを「紙一重」なんていう訳です。
そして、生年化忌星のある宮に意識が向きやすく、対宮は疎かになり「化忌星は対宮を尅する」という所以です。

以上の判断は命盤の基本的な解釈の時に有効です。

廻る年月の運勢を診る場合には、さらに深い判断で「四化星」を読んで行く必要があります。


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低運気の苦労は無駄ではない

低運気の苦労は無駄ではない

前の記事では、「成功は運が味方してくれないと成就し難い」と書きました。
Ameba Blog

では、低運気の努力は無駄なのか、というと、そんなことは有りません。

たとえ成功しなくても、様々な体験、特に失敗や苦い体験は大切なものです。自分自身を振り返っても、60年の辛苦は、今、紫微斗数で見れば、まさにシナリオ通りであり、成功するのは至難の技のような時期でしたが、でも、成功できないからといって何もしないでブラブラしていたら、今の私は無かったと思います。

当時はシナリオなんて知らなかったから、いつかは成果が出るのではと必死で生きて来ました。でも途中で試練の期間が長すぎて嫌になって挫折もしました。散々の思いもしました。でも今、大吉が巡り始めて、あらためて60年の苦労の有り難さをヒシヒシと感じます。
当時は人の何十倍も苦労して、なんて損な人生なんだろうと神様や仏様や運命を恨みました。

しかし、今は、その苦労につくづく感謝しています。
また、幸運期って、なんて便利なものなんだろうと思います。大して努力しなくても良い結果に恵まれます。

まあ、どんな苦労も決して無駄には成りません。
金を払っても買えない苦労は山ほど有ります。それを無料で山ほど体験させて貰って、感謝、感謝です。

今、まさに苦労のどん底に居ても、絶対に無駄には成りません。
ダダ一つアドバイスするならば、恨み、憎しみ、短気などは持たない方が得策です。これらを持つと、もっと苦労の体験をさせて貰えますから、それはそれは大変です。

どうぞ、参考になさってください。


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自己成就予言

自己成就予言

「自己成就予言」って?
心理学の書籍によれば、アメリカの社会学者「ロバート・K・マートン」によって提唱された概念だそうです。
それはどういうことかといえば、ある人が何か自分に起こるのではと思って行動することによって、本来は起こり得なかった筈の事になってしまった。というような事だそうです。

ここで重要なのが「起こるのではと思って行動すること」というところが重要です。

これって、スポーツ選手がよくやっているイメージトレーニングでも云えるのではないでしょうか。「自分は成功できる」とプラスの思考で体操の演技などを頭の中でイメージしながら、本当に演技が旨くいっている様子(動画風に)をイメージしながら演技のシュミレーションをすることと同じではと思います。

実際に多くの人を鑑定しても、プラス思考の人は人生も割合に旨く行っています。では大変な事や辛いことは無かったのか。といえば、そんな事はなく辛い体験もされています。でも立ち直りが早いのです。
マイナス思考の人は、一つの失敗をいつまでも引きずり、遠く過ぎ去った過去のことを延々と考えています。自動車の運転に例えれば、道路上の障害物にタイヤが乗り上げてしまって、大きなショックが有ったならば、運転しながら後ろを振り向いて、障害物を「何であの石ころが落ちているんだ!」といつまでも眺めている状態に似ています。障害物を眺めている間にも自動車はどんどん前に進んでいます。いつまでも後ろを振り向いていると、やがて自動車はセンターラインを越えたり、路肩に寄っていって、ついには対向車と正面衝突、あるいは路肩から転落。

こんなことも人生でもいっぱい起こりうるのです。
過ぎた失敗にいつまでもクヨクヨしていると、新しい問題を見過ごしてしまい、些細な問題でも大きな失敗につながってしまいます。そうすると、新しい失敗で更に大きな失敗を誘発するという循環が始まってしまいます。
このタイプの人は、一つの失敗が次々と失敗の連鎖を起こしやすいです。

こんなことを小さい頃からやっていると、そのうちに「私は何をやっても駄目、私はダメ人間なんだ」と思い込んでしまいます。
そうなると「自己成就予言」の法則で「私はどうせ失敗するんだ」、「私は何しても成功は出来ない」と思い込むようになり、自分が予想したように失敗を繰り返して行きます。

つまり、「自分は必ず失敗する」と思い込めば、必ず失敗するようになる訳です。



これってスピリチュアルの世界で言う「引き寄せ効果」と同じなのかも知れませんね。

実際に鑑定していて、このタイプの人は失敗が多く苦労しています。このタイプの人は「苦労が多い」、「運が悪い」と思い込んでいます。実際に命盤も自化が多く悪いです。

しかし、ここで朗報です。
このタイプの人に自化が多いという事は、「自化は後天的な現象」ですから、生まれ持ったものが悪いのでは有りません。自化や「必定」を一旦無視して宮を観て問題が無かったら、持って生まれたものは良好と判断して良いと思います。良いものを持って生まれているけれど、後天的な思考や行動で宮を悪くしていると解釈した方が、運命を改善するヒントに成ります。

先ずは、自分はマイナス思考に成っていないかをチェックして、もしマイナス思考ならば、プラス思考に成るための哲学を学ぶと良いです。哲学というと難しく聞こえますが、簡単なことです。

もし、こんな事で悩まれているなら、ご相談に載ります。

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生まれ持った運命のシナリオは有るけれど

生まれ持った運命のシナリオは有るけれど

私が生業にしているものは「紫微斗数」という生年月日と生まれた時刻の基本データーから、人の一生涯のシナリオを読み解く(分析)仕事です。これを一般には「命術」と云います。
占いのジャンルに入ります。ネットでは「エンターティメント」の分野に入ってしまうようですね。
エンターティメントって芸能人やアーティストと一緒なんでしょうかね? じゃあ娯楽産業?
私としては全く違う捉え方をしていて「命術」が娯楽だなんて「ふざけてる」と思っています。

もっとも私は占いと命術は分けて考えています。占いを正確に二分するならば「卜占」と「命術」に、さらには「相術」と分けてもいいかも知れません。

「卜占」は昔から馴染みのある「易」とか「タロット」他にもいっぱい有りますね。
これは、占う対象の基本データーは必要なく、何を知りたいのか念じて占うだけで良いのです。でも「断易」などは占う日のデーターは必要ですが。この「卜占」は難しいです。何が難しいかと言えば、スピリチュアルな感性が必須だからです。
昔から「当たるも八卦、外れも八卦」(違う言い方もされます)つまり、あまり正確でないという比喩ですよね。でもちゃんと正確に当てる人は正確に当てます。中には年中外してしまう人も居るようですが。

いっぽう、「命術」は、運勢を調べたい人の生年月日と生まれた時刻の基本データーを元に、一定の理論法則に則り一生涯の運命のシナリオを解析する方法です。これは、正しく理論法則を学んでいれば、誰が分析しても同じ結果が得られる(筈)です。
しかし、同じ命術でも理論法則が真逆の命術も、日本には存在しているようで困った事になってしまっているようですが。

とまあ、ここまではプロローグです。
正しい命術は、私の知っている範囲では、紫微斗数、インド占星術、西洋占星術、それと正しい四柱推命です。他の命術は学んで居ませんから、正しいのかどうかは判りません。

これらの命術を「占い」ということに私は少なからず抵抗が有ります。私の「占い」という概念は、小さい頃に草履を放り上げて、地面に落ちた草履が「裏なら明日は雨」、「表なら晴れ」、こういうのを占いと思っています。つまり当たりも外れも五分五分だからです。もっとも霊感の強い人がやったら100%的中かも知れません。

話を命術に戻しますが、命術では一生涯の運命の傾向を知ることが出来ます。

先日、複数のプロの占い師さんに、私を鑑定して頂く機会が有りました。
それは四柱推命と西洋占星術、さらにインド占星術の3つの命術で私の生年月日(1951年6月23日、午前10時、山梨県生まれ [戸籍とは違います] )で鑑定結果を頂きました。
※何故、戸籍と違うのか? それは複雑な家庭の事情が有り親父が届け出たのがイイカゲンだったから。

さて、この3つの命術の鑑定結果はと言いますと、凄いです。3つとも正確に私を言い当てています。性格や様々な家庭事情、その他の事情もです。もちろん、私も紫微斗数で自分自身を鑑定しています。その結果とピタリと一致しています。素晴らしいかな命術。

唯一、違う所を言うならば、私が占いを生業にした頃からのシナリオは外れています。
もちろん、私が自分自身を鑑定した紫微斗数のシナリオとも違っています。
どの命術も晩年のシナリオは良いことは的中しています。しかし悪いことは、シナリオとは違っています。ならば、良いことは的中で悪いことが外れているのならラッキーですけど。

実は、この晩年の悪いことが外れて居るのには訳があります。
私はすでに紫微斗数の鑑定で自身の晩年の悪いシナリオを変えなければ成らないと強く思っていました。私の一番の悪いシナリオの原因は、自らの性格、思考傾向に有るからです。その悪い思考を真逆に変えたのです。といっても変えるのは容易では有りません。

変えるに十分な最悪な体験が有ったからこそ、問題の性格を変えることが出来たのだなあと思います。
これは誰にでも出来ることです。真剣にその気になれば。

『生まれ持った運命のシナリオは有るけれど』、それを、指を咥えて見ているだけでは駄目です。
変えることは可能なのです。超マイナス思考から、プラス思考へ。

このことから人生は好転し始めました。シナリオとは真逆にです。
命術では「こうなる」という鑑定結果が出ますが、それをアドバイスと捉えれば良いと思います。

ただし、簡単には変えにくいシナリオが有ります。それは「健康運と外出時の意外」です。
これは日頃から気を付けることと、これらの運勢の悪い時期には不調になりますから、いつも以上に健康管理や事故に遭わないよう周囲に気配りが必要です。



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災難を避けられない人

災難を避けられない人

的中率では抜群に抜きんでているのは欽天四化紫微斗数と新・飛星派の紫微斗数と思います。
「えっ! 新・飛星派って何? 紫微斗数に新旧が有るの?」
はい、有ると言ってもよいでしょう。
私は何年も前に3~4年かけて紫微斗数を学びました。しかし、いざプロに成って悩みました。命盤の解釈はまあまあ出来ても、今年は何に注意したらよいの? とか、人生で最高に仕事運や財運が廻る時はいつ? という問にはハッキリ言ってあやふやでした。もちろん星しか観ない三合派では、そういったことは判りません。仮に大吉なんていう判断が出来ても、そんなことは無かったりでした。
飛星という技術も有りましたが、それは宮の状態の善し悪しを判断する程度でした。そんな飛星法でも三合派より格段に優れていました。
三合派で「財帛宮は大吉ですねえ」なんて言われても飛星してみれば大凶だったりして、これはよくある話です。

問題なのは巡ってくる10年運(太限)や1年毎や月ごとの様々な吉凶が判らないことでした。
しかし、それは今では解決されています。飛星をして鑑定することには変わりは無いのですが、何処の宮から飛星して、何処の宮に四化星が入ったら、この太限は吉なのか、あるいは今年は凶なのか、果ては西暦何年の健康が悪いのかが判断できる飛星法です。

この飛星法にハッキリした名称が無いので「新・飛星派」とでも勝手に名付けています。
この方法を伝授戴いたのは、2013年芦屋の田中宏明先生からでした。この方法は日本には有りませんでした。2017年の今でも昔から紫微斗数を生業にしている方々は知らない方が多いのではと思っています。この方法に欽天四化の鑑定法を付け加えたら鬼に金棒と思います。

それでは、ここから本題に入ります。
こんなに的中させてアドバイスを得ても、行動に移せない、あるいは移さない。
来るべき時に開運、あるいは災難を避けることが出来ない。そんな人たちも居るということです。

それはどんな人達でしょう。

例えば病気の場合では、今が何も自覚症状が無いから行かない、占いなんて出鱈目と思っている。

あるいは、信じてもよいけど医者が怖いから、注射が怖いから。なんて、鬼も怖がる大男の男性もいらっしゃいます。
そして、頑として絶対に医者には行かない、といって運命の年月が訪れて発症。
具合が悪くて仕方ないので渋々と病院に行ったら「末期がんでステージⅣ」、もう残念でした・・・。

でも、こういう人に限って死ぬと成ったらパニックで泣き叫ぶ訳です。頑として医者にも行かなかったのだから勇ましく死を受け入れればよいのに泣き叫んでしまうのは残念です。

病気以外にも、惚れてしまえば悪魔であっても言いなりになってしまう女の性も有りますね。
アドバイスなんて「馬耳東風」。いや違うかな…、判っちゃいるけど辞められない。悪いこと、止めなきゃいけないと思うけれど、ついつい情事を重ねてしまう。最後には、どんでもないことに成ってしまった。なんていう事もあります。

更に言えば、こんな例も、一生涯掛けて食べる量の食べ物をせっせと食べ尽しメタボを含む肥満や成人病になってしまう人たち。そして短命と成り。
短命ならまだマシで、半身不随、寝たきりで、まだまだ残っている永い永い寿命を消化して行かなければならない、辛い長い余生。

私は老人介護の仕事も何年も就労させて戴いて多くの学びを頂きました。
まだ、60代、70歳代なのに暴飲暴食、不摂生が祟り寝たきり、半身不随に成られてしまった方々を多く見てきました。自由が効かない、骨まで観える寝だこ(褥瘡)で激しい痛みとの戦い、余命長いのに食べたいものは一切食べられない、ただただ生命をつなぐだけの食事。こんなで、後何十年生きなければ成らないのでしょう。

私は占いを知らなくても、こんな人生は送りたくないので、必要以上のことは欲しがりません。

今は先の事が分かる技を知り得たので、自然の摂理に則り生きて行こうと思っています。

自然に逆らわずという事と思います。とかく欲が突っ張ると自然に逆らうようなことに成ります。要注意ですね。


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精解 吉象万年暦—気学、紫微斗数、推命、断易活用 大正元年(1912)‐平成80年(2068)
東洋書院
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福徳宮にご注意!

福徳宮にご注意!

紫微斗数では「福徳宮」は深層心理、あるいは奥深い精神性を診る宮です。その他にも健康面や先祖、非物質な側面を診る宮で重要な宮です。
この福徳宮の状態を数タイプの傾向に分類出来ます。

1) 標準的なタイプは生年四化も無く、主星が1~2個入り凶星の副星も無く、自化も無く、宮全体で星が2~4個程度の人。
2) 滅茶苦茶に星の多い人(5~8個)、生年四化も1~3個、自化も無く、副星の凶星は無い人。
3) 滅茶苦茶に星が多く、2)のように生年四化も有ったり、副星の凶星も有り、自化も多い人。
4) 主星は無しで、副星も無しか、吉の副星のみで、自化も無し、宮全体で星は0~4個程度の人。
5) 4)同様だけれど自化も多く、副星の凶星が有る人。

「天巫・陰殺」が同宮したり特定の宮にある場合も霊的感性は特別に成るようです。

以上ざっくり4タイプに分類してみますと、一概には言えませんが、2)、3)と4)と5)のタイプは精神性が強い傾向と云えます。
2)と3)は趣味や好きな事が多いか、シッカリしている傾向があると感じます。ただし、3)は精神面で問題が出やすいです。
4)は霊的感度が強いと感じますが、同時に問題も有ることが多いです。
2)と3)はスピリチュアルなものに興味を惹かれる傾向ですが、ノイズが多いというのでしょうか、そのままでは駄目ですが、精神性を研ぎ澄ませるようになれば感じやすいと思います。
4)と5)は星が無い(少ない)分、静か(ノイズが少ない)で僅かな霊的なものも感じやすい傾向があると気付きました。宗教家や霊的な事に関わっている人に多いようです。
この場合、副星の凶星が無しなら、優れた宗教家とか霊的に研ぎ澄まされている人でしょう。いわゆる悪霊の類には強い耐性が有るようです。
この逆で凶星の多い人は、悪霊が憑依しやすいと思ってもよいでしょう。大概、凶星の多い人は「短気、恨み、妬み、不満、悲観」などを持ちやすいようですので、そのような人は努めて心を前向きにして、マイナスな事に目を向けずに、少しでも良いもの、プラスになる思考を持つようにしたいです。誰かから些細なことを言われても非常に気にかかり、腹が立ったり、恨んだり、憎しんだりしやすいです。悪霊は短気、恨み、妬み、不満、悲観の心を好むそうです。つまり同類を求めているのでしょうね。

福徳宮が「破格」のように成っている人は、普通は鬱病になったり、引き篭もりや、自殺、または攻撃的になったり、時には人格が変わったように振る舞うこともあります。人生も奈落に落ちやすいですが、精神性を強めて悟りの境地に至るようになれば、破格を超越して雲の上の人ようになり、凡人は気付かない様々なものの見方が出来るようになります。こうなればもう悲観的な思考はしなくなり、浮世のゴタゴタの影響は受けなくなります。

鑑定に来られる人の中にも時々、このような方がいらっしゃいます。

実は私も福徳宮が破格で「来因宮」でもあります。人生の2/3は変な感じでして、マイナス思考の塊でした。しかし、この歳になり目が覚めたというか、一皮むけた? あるいは生まれ変わった、そんな心境になり、様々な浮世のことに影響されなく成り、短気、恨み、妬み、不満、悲観などのマイナス的な感情は消え失せてしまい、至福千年の境地に至りました。だからといって富豪になった訳でも有りません。日々清貧な生活ですが常に満足感が有り、不足を感じなくなりました。

是非、福徳宮に問題の有る方は「自力更生」をお薦めします。


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川越美和さん

川越美和さん

■川越美和さん

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『1988年10月26日に「Looking at You」で歌手デビュー。一正蒲鉾のCMソングのタイアップとなり、キャッチフレーズは「天然的美少女」だった。
翌1989年、テレビドラマ『時間ですよ・平成元年』にレギュラー出演。4枚目のシングルで同ドラマの挿入歌となった「夢だけ見てる」で、同年暮れの第31回日本レコード大賞新人賞を獲得した。
同期歌手デビューに田村英里子、島崎和歌子、中山忍、深津絵里、マルシア、千葉美加、細川直美などがいる。
1996年頃から初瀬かおる名義で活動していた。「理想の結婚」出演当時の『TVガイド』によるところでは、芸能活動休止後の事務所移籍を機にした心機一転の意味を込めての改名で、名前自体には特別な意味はなかったという。
その後本名に戻してからも、ドラマ・舞台・映画などで活躍を続けた。
2007年に所属事務所を辞め、芸能界から引退した。
2017年5月30日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)2017年6月13日号が報じた情報では、引退後の2008年4月に東京都大田区内の自宅アパートで死亡しているのが発見された。発見時点で死後数日経過していたという』
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かわごえ みわ
川越 美和
本名 川越美和
別名義 初瀬かおる
生年月日 1973年1月3日
没年月日 2008年4月22日(満35歳没)
出生地 日本 鹿児島県肝属郡大根占町(現・錦江町)
死没地 日本 東京都大田区
国籍 日本
身長 162 cm
血液型 A型
職業 女優、歌手
活動期間 1988年 - 2007年
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ここまで<ウィキペディアより引用>

先日、知人から川越美和さんの話を聴き、大変に辛い人生を送られたことを知りました。
私はあまり芸能界に関心が無いので、テレビから姿を消しても気にしないのですが、川越美和さんに限らず、芸能界では輝く彗星の如く突然にトップスター・アイドルに成っても、その後にいつしか人知れずに姿を消してしまう人は多いと感じます。
そして、その後の人生は奈落に落ちてしまうような事も少なくないと感じています。

今回、川越美和さんの話を聴いて、どんな命盤だったのだろうと気になりました。
しかし、生まれた時刻は全く判りません。人相を観ても命宮の星を特定できませんでした。

そこで、亡くなった時の警察の鑑識の発表した死亡推定日から命盤を探し出しました。
※死後、数日経過して発見されたので正確な死亡の日は判りません。

川越美和さんの人生は様々な壮絶な出来事に見舞われた人ですので特徴的な命盤になる筈です。
案の定、川越美和さんの誕生日の一日の中で滅茶苦茶に悪い命盤が一つ有りました。

そして、この滅茶苦茶にシンドイ命盤を調べると死亡するであろう年月日は「2008年4月21日」です。鑑識の死亡推定の日は「22日」でしたが、この日はそれほど凶ではなく、前日の「21日」は非常に厳しい凶意の日でした。多分のこの日に亡くなったと思います。
死因もハッキリ発表されませんでしたが、命盤では「衰弱に依る心臓発作」それと精神面での疾患、酷いうつ状態に成っていたと云えます。
死亡するかなり前から「引き篭もり」になる運勢ですし、その原因は25~34歳の太限での奴僕から受けた損害が原因ではとも思います。
両親との縁も薄かったと思います。親友も居なかった、あるいは少なかった、居ても交流は無かった可能性が有ります。孤独の人生になってしまったのですね。

非常に悪い宮は、遷移宮が破格、しかも来因宮でも有ります。これだけでも大変な人生に成るでしょう。奴僕宮も破格、夫妻宮も破格です。

川越美和さんの、この人生での業報因果を調べて観ました。

■結婚したら辛い人生に成るでしょう。
夫から様々な苦労、損害、試練を与えられる運命です。
離婚・死別するような運勢です。

■様々な試練・トラブルに関わって行く運命で、そのような仕事に縁のある人と観ました。

■仕事を通して社会に貢献しなければ成らない人と感じます。

■その結果、社会から認められ、社会で活躍出来て、人生が実りあるものに成る筈でした。

■適職は、世の中の人々の問題、悩み、トラブルを解決に導くお仕事が適職と観ました。

晩年まで厳しい運命の人でしたが、精神面で満たされることが何よりもの救いに成ったでしょう。

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シナリオ通りに着々と

シナリオ通りに着々と

様々な問題が噴出している第二次安倍政権。

今のところ人生の運命のシナリオ通りに着々と物事が進行しているようです。
東京都の都議会選も安倍さんの仕事運の年運と月運が大凶の期間に入っていますし、しっかりとシナリオが遂行されるように様々な悪条件、問題が起こっています。

本当の結果が出るのは、2018年2月15日以降になります。
この日を境目に安倍さんの10年運が変わります。同時に年運も月運も一斉に変わります。
ですから、本当の結果は2月15日以降に出ます。

でも、年内にも現象は現れる筈です。それは2017年11月18日~2018年2月14日の期間にも現れそうです。決定打は2018年2月15日以降ですが。
この時の状況で来年の明暗が分かれるでしょう。

来年は仕事だけでなく健康も辛くなりそうです。第一次安倍内閣の状況に成りやすい傾向が観えます。唯一、救われるのは大凶でも吉が引っ付いているので、この吉を活かせられるかですね。
活かせられなければ厳しい状況に成りそうです。

もうしばらく観察します。





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紫微斗数鑑定の難しさ

紫微斗数鑑定の難しさ

紫微斗数で鑑定されて皆様が驚かれるのは、様々な出来事の的中率です。
廻る10年毎の出来事の吉凶、これを専門用語で「太限(たいげん)」といいます。
そして、1年毎、月ごとの吉凶をそれぞれに診ることが出来ます。
過去の出来事についても、辛かったこと良かったことが年月までも的中していることです。
もっとも、この年月の運勢の吉凶を正確に鑑定する方法は近年に田中宏明先生によって日本に伝わりました。しかし、この鑑定法はまだ日本の隅々にまで広がっている訳ではありません。
まだまだ都市圏を中心に紫微斗数の鑑定に用いられている鑑定法は昔から有る方法です。
私の個人的感想ですが、関西方面の方々がこの新しい鑑定法を多く知っているのではと思います。
同じ紫微斗数でも古い体系の紫微斗数ではイマイチと感じます。

この廻る10年毎、1年毎、月ごとの吉凶を鑑定する方法は実はそんなに難しくないのです。
ある一定の鑑定の法則(四化飛星)を覚えれば良いのです。

本当に難しいのは、命盤そのものを解読することです。
その人の生涯の財運の傾向、適職や結婚運、健康状態など命盤の12宮の持っている傾向を鑑定することです。三合派の宮の星曜(様々な星)を診るだけでは表面的な部分しか観えません。
もっと深い意味を知るのには、欽天四化の法則が必須です。
この命盤そのものを正確に鑑定出来れば、人生をどのように生きれば良いのかも観えてきます。
まさに人生の青写真、設計図としての命盤の活用が出来るようになります。
命盤12宮の詳細な分析で人生の方向性がハッキリします。
そして、廻る時期の吉凶で、示された方向性のチャンスの時期が判るのです。

この命盤の分析は奥が深いです。机上の理論を踏まえて実占で多くのことも学べます。これで終わりということは無いと感じます。

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あらためて

あらためて

昨日は、アメーバに接続出来ない障害が長時間続きました。
小林麻央さん逝去にともない、麻央さんのアメーバブログにアクセス数が急増したせいでと思います。
麻央さんが世の多くの老弱男女、特に女性に伝えたものは多かったと感じました。
麻央さんは短い人生でしたが、その短い生涯の生き様から大きなものを伝えられたと感じます。

麻央さん自身も云っていたように「病気になったから気付いた大きなものが有った、不治の病になったから人生をどう活きなければ成らないか気付いた」と。

これまでの鑑定を通して思ったことは、辛苦の人生を生きる多くの人々が大切なものに気付かず、目の前の辛さだけに目を奪われて、本当の意味に気付かなく、大切なものを見失っていると感じます。

私も麻央さんの人生を拝見して一つの気付きを得ることが出来ました。

これからの鑑定を通して診るのは、「この人は何の目的のために生まれて来たのか」ということを重要視して鑑定しようと思います。
辛いシナリオを持った人ほど人生の目的に重要なものが有ると思います。
人は快楽を貪るためにこの世に生を受けるのではないと感じます。
もし快楽が有るとするならば、辛苦続きでは挫折してしまうので、一休みの意味で楽しいことも設定されているのでしょう。言い換えれば精神性が高い人ほど大きな試練を設定しているのではとも思うのです。

そういう意味では、私の人生は2/3まで辛苦でしたが、65歳以後は目標がハッキリ示され生き甲斐の有る人生が送られる設定ですので、まだまだ修行のレベルが低いと云えます。
次回の今世に輪廻する時にはもっと厳しいシナリオを設定するのではと思います。

紫微斗数の「業報因果」に耳を傾けましょう。

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