本年もありがとうございました

本年もありがとうございました


今年も

様々な方々との多くの出会いに感謝申し上げます


皆様のご相談に向き合いながら、私自身も

多くの学びをさせて頂きました


皆様方の人生行路

生まれつき定まった航路とはいえ

荒波を少しでも回避できる方向への舵取りが

出来ればと


ただ

ただ

祈るばかりです



此の先も

まだ試練、困難は

有るでしょうけれど

これらの試練は

あなたを

つぶすために

有るのではないと信じてください


私も人生、ずっと潰されるための人生なのかと

思い続けてきました


しかし

今になって思う事に


それは

潰されるための人生では無かったと実感しています


何かを

成し遂げるための修行

経験を積む必要があったという事です



★★★★★★★★★★★★★★

新・紫微斗数の鑑定ご相談は

宮立命公式サイトへ

ご相談は下記アドレスをクリック

http://miya-rithumei.com/

★★★★★★★★★★★★★★


年末年始も、鑑定・レッスンの受付をお受けしています

年末年始も、鑑定・レッスンの受付をお受けしています


年末、年始も悩みや心配事は尽きないものです。

営業日は202016日からになりますが、鑑定とレッスンの受付は年末、年始もお受けしています。

出来るのなら「メール」、「LINE」等でお願いします。

電話は出られない場合があり、ご迷惑をお掛けしてしまいます。


受付からご予約日は、年末年始でも確定出来ます。

なお、返信までは多少、時間が掛かる場合があります。

宜しくお願い致します。


★★★★★★★★★★★★★★

新・紫微斗数の鑑定ご相談は

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http://miya-rithumei.com/

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メール鑑定 遅延のお知らせ

メール鑑定 遅延のお知らせ


人と話すことが苦手!

そんな人にはピタリなのが「メール鑑定」ですが、

対面鑑定・Skype鑑定・電話鑑定が混んでいまして、Wordの打ち込みに時間を割くことが出来なくなっております。

誠に申し訳ございませんが、今しばらく遅延いたします。


メール鑑定でお急ぎのお方は、お話が苦手なお方、ぜひ宮立命(宮﨑)と話してみてください。

威圧的ではありません。

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ちょっと女性っぽいのは「太陰星」を命宮に持っているからです。

女性の方は同性と話している気分でしょう。

男性の方は、ちょっと頼りなく感じるかも知れませんね。

でも、お姉系ではありませんの、ご安心を。

正真正銘の男性です。

ただし、もう高齢ですので男は引退してしまいました。

どうか、メール鑑定、余裕が出来るまでご猶予ください。

対面鑑定をお受け出来る日

対面鑑定をお受け出来る日


対面鑑定は静岡市の草薙で対応しています。

2020年1月より対面鑑定出来る曜日が決まっています。


※ 下記の日時で、予約で埋まっている場合があります。

     必ず空き状況をご確認ください。


毎週 

日曜日・月曜日・火曜日 の三日間です。

必ず事前にご予約ください。


鑑定時間は

10時~12時  13時~17時

上記時間帯の1時間になります。

(鑑定人数により2時間も可能です)

  • Skype・電話・LINE電話は空きがあればいつでもOKです。

鑑定場所

静岡市清水区楠新田396-1


詳細はお問合せください。


LINE ID ⇒ miya19511 

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年末年始の鑑定可能日のお知らせ

年末年始の鑑定可能日のお知らせ


2019年の年末は、29日まで鑑定が可能です。

(すでに予約で埋まっている日が有りますのでお問合せください)


2020年は、15日から鑑定が可能です。

(すでに予約で埋まっている日が有りますのでお問合せください)


易で2020年を観ますと。

易で2020年を観ますと。
【天山遯】です。
象意は、「十二消長卦」で、逃げる、退く、隠れる、といったことが良い卦です。
衰運逃避、退いて吉、進む時ではない、政治で云えば政権末期、脱出に苦労、財没収に備え隠匿せよ、経営事業は縮小すべき時、退却して時期を待つ時。
健康は、足元老化、ぎっくり腰、血圧、血液、腹部。
運気衰弱ですから、積極的は裏目、依頼交渉不調、悪い奴からは離れること、何かを引き受けるのはよく考えること。


■人間関係
人間関係は出会う人が皆、自分の利益にならないばかりか、損害を与えるような時である。さっさと別れるべき人とは別れ辛抱する時。
■行動
正しい計画、スケジュールにのったという行動であっても、その内容が積極的・拡大的意味合いを持つものであれば凶。清算するための行動や引退するための行動は吉。

医療ミスは健康運の悪い時に起こっていた

医療ミスは健康運の悪い時に起こっていた


鑑定依頼の中でも健康に関することは多いものの一つです。


例えば

「最近、体調が悪いが何か問題が有るのでしょうか?」


「病院で診察を受けて原因がハッキリしないけれど、今後どうなるのでしょう?」


「手術してみないと何とも言えない、と言われたけれど如何でしょう?」


こんなご相談を受けることが時々あります。



私は医療関係者では有りませんが、これまでの鑑定で気付いたことがありました。


事後、鑑定ですが「医療ミス」が起こった時には、ご本人様の健康運が大凶のような時に起こっています。


そのような事から思うことは。

もし手術の時期が選べるのなら、「健康運」が良い時がお勧めと感じます。


しかし、

緊急を要する手術などは時期など選べません。

そもそも手術が必要な時は「健康運」は悪いのが当たり前ですから。

あえて時期が選べるのなら、「いつでも都合の良い時に手術しましょう」と、いうような場合には時期を選べば良いと思います。


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実は、私も今年は体調が思わしくないのです。

「健康運」は大限(10年運)では中凶程度ですが、年運では昨年あたりから凶運期です。

20182021年が凶運期で、特に2021年は欽天で観ても凶運期ですから気になる所です。


昨年あたりから、運動不足も大いに原因として考えられますが、足腰や全身の筋力低下。疲れやすい。

両膝の痛み。消化器系(便通、膨張感)で不快な状態が続きます。


今年も不調が続いていましたので、近くの診療所で診て貰いました。

やはり便通の通りが悪い診断結果で胃腸や消化器の働きを促す薬を処方して頂きました。

お蔭さまで便秘と膨張感は減少しましたが、気になる所はいろいろあります。


お医者さんの勧めで年明けにでも精密検査を行います。

医師の話では、「腸内にポリープが出来ていても不思議はない」とのことです。


以前に友人のインド占星術や四柱推命で、今の健康運が良くないですと言われてはいます。マジでやばいですよ、とも言われています。


その通りと思います。欽天や飛星派で観ると、2021年は大凶です。


こういう時に精密検査の結果の手術なら、2021年は避けた方が良いです。大凶に成る前の2020年中が良いでしょう。


私の心情としては2021年逝ってしまっても悔いは無いですが、遺して行く友人の事が心配です。自分はどうなってもよいけれど、遺された人が可哀そうでなりません。


何とか早めに対処して峠を越えたいと思います。

この峠を越えれば、次の峠はいつになるやらです。

90歳代までも生き延びてしまうかも知れません。

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人生を検証する

田中宏明先生のblog


欽天四化 紫微斗数の田中宏明先生のblogでご紹介戴きました。

⇒ https://e-suimei.com/anritsumei-sensei-blog/



紫微斗数という命術は人の一生涯の人生のシナリオが判りますが、そのことについて幼少期から70歳代近くまでの人生を振り返って、どの程度的中しているのか、人生で起こった様々な出来事が命盤には、どのように記されているかを検証しています。

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人生の終焉に願うこと(続編)

人生の終焉に願うこと(続編)


これまでの経緯 ⇒ https://ameblo.jp/miya-ritumei/entry-12512838374.html


このブログを投稿した時には、お姉さんはだいぶ衰弱はしていましたが持ちこたえていました。


この家族の親子の修羅場は何とか成らないものかと他人事では済まされませんでした。

余命いくばくも無い姉さんのために、少しは人間らしい家族になって欲しいと思うのです。


鑑定依頼を受けた二年ほど前は、お母さんも妹さんも姉さんがまさか死ぬなど思っていません。

しかし、命盤は深刻な「同象自化」や理論上の整合性が整っていました。

良い方の整合性なら良いのですが、深刻な方の整合性です。


少しでも姉さんのために家族は「逆縁」を元に戻して欲しいと思い、お母さんと妹さんには姉さんの今後の状況はお伝えしました。

しかし、お母さんはまったく気にしないのです。

妹さんもまさかとは思っているようでしたが、それでも何とかしたいと涙を流しました。


2019年の11月末の(某)日が姉さんの一番に厳しい運勢です。この年のクリスマスは姉さんには無いかも」と、お伝えしたのです。

何も感じないお母さんのために、少しはビクッとするように伝えましたが、大して気にしない感じでした。


そして、20198月、姉さんの容体が悪化して緊急入院、医師から余命二週間と伝えられたのです。

しかし、姉さんは数日後には再び元気に成り、二週間は無事に過ぎました。


だが、11月の中旬辺りから急激に悪化し始めました。

肝機能の数値は生存限界を超えていました。

全身に黄疸症状も現れ、いよいよ厳しくなったのです。

紫微斗数の11月某日は目の前です。


お母さんも妹さんも面会時間ぎりぎりまで姉さんのベットの横に付き添っています。

全身の激しい痛みを緩和するために多量のモルヒネを使っています。意識もモウロウとしながらも、うわ言を言います。

「痛い、痛い、水が飲みたい、アイスが食べたい」

しかし、飲み物は喉を通りません。

妹は姉さんの身体を一生懸命に摩ってあげています。

お母さんも同じように姉さんの身体を摩っています。

何故か摩ってもらうと痛みが和らぐと、姉さんが言っていました。


この時にはいささか姉さんとお母さんは怒鳴り合うことはしません。

姉さんには怒鳴る元気も無くなっていたのです。

ただただ、この限界の痛みから抜け出したい一心のようです。


そんな時に姉さんの口から思わぬ言葉が漏れ始めました。

「おかあさん・・・、おかあさん・・・」


傍にいたお母さんは

「えっ! どうしたんだい 和子」


妹は思い出したように

「お婆ちゃん、早く姉さんを抱っこして」


「えっ、何を言うんだい恵子、和子を抱ける訳がないだろうに」


妹は泣きながらお母さんに訴えました。

「そうじゃなくて、姉ちゃんはお婆ちゃんに小さい時から抱っこして貰っていないんだから、抱っこして欲しいんだよ」



「抱っこけえ? そりゃそう言われると和子には辛く当たってきたけど・・・」


妹は

「私だって、小さい頃から家の中で暴力と暴言の中で暮らして来たんだもの、それでも私はお婆ちゃんが好きだから抱っこして欲しかった、今からでもいいから抱っこして欲しいの」

泣きじゃくりながら訴えかけました。


お母さんは姉さんのベッドサイドに膝ま付くと、姉さんの胸元を優しくポンポンしながら子守唄を歌い始めました。


うわごとを言っていた姉さんは

「恵子、悪いことをしたねえ、私はお母さんの面倒を恵子に看させてしまった。お母さんより先に逝ってしまうなんて・・・」


「おねえちゃ~ん」

妹は泣きじゃくりながら姉さんの手を取り、すがったのです。


姉さんは意識がもうろうとして、もう夢の世界なのか、あちらの世界に行き始めたのか、あまり呼びかけにも反応しません。


やがて、担当の医者が見回って来て、姉さんの足の方の布団をめくりあげて言いました。

「もう時間の問題です・・・」


姉さんの足は冷たく死斑が広がり始めていました。

爪も紫色です。


それから五時間後に日付が変わって、静かに息を引き取りました。

某日の翌日でした。


姉さんとお母さんは最後には「逆縁」を解消出来たと思います。

そして、気難しいお母さんも妹の方の恵子さんと仲良く暮らすことだろうと思います。


葬儀が済んで、お仏壇には姉さんが闘病中に食べられなかった大好きな供物がたくさん並んでいました。

姉さんは亡くなってからの方がお母さんや妹からいっぱい、いろいろして貰っています。


今は本当に幸せなお姉さんです。


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これまでの経緯 ⇒ https://ameblo.jp/miya-ritumei/entry-12512838374.html


このブログを投稿した時には、お姉さんはだいぶ衰弱はしていましたが持ちこたえていました。


この家族の親子の修羅場は何とか成らないものかと他人事では済まされませんでした。

余命いくばくも無い姉さんのために、少しは人間らしい家族になって欲しいと思うのです。


鑑定依頼を受けた二年ほど前は、お母さんも妹さんも姉さんがまさか死ぬなど思っていません。

しかし、命盤は深刻な「同象自化」や理論上の整合性が整っていました。

良い方の整合性なら良いのですが、深刻な方の整合性です。


少しでも姉さんのために家族は「逆縁」を元に戻して欲しいと思い、お母さんと妹さんには姉さんの今後の状況はお伝えしました。

しかし、お母さんはまったく気にしないのです。

妹さんもまさかとは思っているようでしたが、それでも何とかしたいと涙を流しました。


2019年の11月末の(某)日が姉さんの一番に厳しい運勢です。この年のクリスマスは姉さんには無いかも」と、お伝えしたのです。

何も感じないお母さんのために、少しはビクッとするように伝えましたが、大して気にしない感じでした。


そして、20198月、姉さんの容体が悪化して緊急入院、医師から余命二週間と伝えられたのです。

しかし、姉さんは数日後には再び元気に成り、二週間は無事に過ぎました。


だが、11月の中旬辺りから急激に悪化し始めました。

肝機能の数値は生存限界を超えていました。

全身に黄疸症状も現れ、いよいよ厳しくなったのです。

紫微斗数の11月某日は目の前です。


お母さんも妹さんも面会時間ぎりぎりまで姉さんのベットの横に付き添っています。

全身の激しい痛みを緩和するために多量のモルヒネを使っています。意識もモウロウとしながらも、うわ言を言います。

「痛い、痛い、水が飲みたい、アイスが食べたい」

しかし、飲み物は喉を通りません。

妹は姉さんの身体を一生懸命に摩ってあげています。

お母さんも同じように姉さんの身体を摩っています。

何故か摩ってもらうと痛みが和らぐと、姉さんが言っていました。


この時にはいささか姉さんとお母さんは怒鳴り合うことはしません。

姉さんには怒鳴る元気も無くなっていたのです。

ただただ、この限界の痛みから抜け出したい一心のようです。


そんな時に姉さんの口から思わぬ言葉が漏れ始めました。

「おかあさん・・・、おかあさん・・・」


傍にいたお母さんは

「えっ! どうしたんだい 和子」


妹は思い出したように

「お婆ちゃん、早く姉さんを抱っこして」


「えっ、何を言うんだい恵子、和子を抱ける訳がないだろうに」


妹は泣きながらお母さんに訴えました。

「そうじゃなくて、姉ちゃんはお婆ちゃんに小さい時から抱っこして貰っていないんだから、抱っこして欲しいんだよ」



「抱っこけえ? そりゃそう言われると和子には辛く当たってきたけど・・・」


妹は

「私だって、小さい頃から家の中で暴力と暴言の中で暮らして来たんだもの、それでも私はお婆ちゃんが好きだから抱っこして欲しかった、今からでもいいから抱っこして欲しいの」

泣きじゃくりながら訴えかけました。


お母さんは姉さんのベッドサイドに膝ま付くと、姉さんの胸元を優しくポンポンしながら子守唄を歌い始めました。


うわごとを言っていた姉さんは

「恵子、悪いことをしたねえ、私はお母さんの面倒を恵子に看させてしまった。お母さんより先に逝ってしまうなんて・・・」


「おねえちゃ~ん」

妹は泣きじゃくりながら姉さんの手を取り、すがったのです。


姉さんは意識がもうろうとして、もう夢の世界なのか、あちらの世界に行き始めたのか、あまり呼びかけにも反応しません。


やがて、担当の医者が見回って来て、姉さんの足の方の布団をめくりあげて言いました。

「もう時間の問題です・・・」


姉さんの足は冷たく死斑が広がり始めていました。

爪も紫色です。


それから五時間後に日付が変わって、静かに息を引き取りました。

某日の翌日でした。


姉さんとお母さんは最後には「逆縁」を解消出来たと思います。

そして、気難しいお母さんも妹の方の恵子さんと仲良く暮らすことだろうと思います。


葬儀が済んで、お仏壇には姉さんが闘病中に食べられなかった大好きな供物がたくさん並んでいました。

姉さんは亡くなってからの方がお母さんや妹からいっぱい、いろいろして貰っています。


今は本当に幸せなお姉さんです。


何が起こったのか? <第四運 35歳~44歳>

何が起こったのか? <第四運 35歳~44歳>

第三運(2534歳)では脱サラ、起業後して、自宅兼店舗を父親と二人で手作りし、そんな最中に母親が脳卒中で倒れて、建築が一時休止となりましたが、それでも何とかスタートしました。しかし計画があまりにも漠然としたものだったので、何でも行き当たりばったりと、今になってみれば我ながら呆れてしまうものでした。

そして第四運(3544歳)の運気に入って、どのようなことが起こったのか、命盤を検証しながら振り返ってみたいと思います。

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この10年間の変化

■カメラの組み立て下請け、目覚まし時計の組み立て下請けなど仕事内容が次々に変わる

■家電販売会社のサービス課のアフターサービス下請

■慢性腰痛⇒廃業⇒会社員(新聞販売店社員)

■両親の介護と父の死

■家庭崩壊⇒離婚⇒住む所を失う

■一からの出直し

家電品メーカー修理サービスの下請は久しぶりの高収入に恵まれるようになりました。仕事は遣り甲斐があり毎日忙しく意気揚々としました。しかし、家庭電化製品の大型化で扱う製品は重いものも多く、ぎっくり腰をきっかけに慢性的な激しい腰痛に悩まされるようになりました。

そもそも私は「疾厄宮」が悪いので持って生まれた健康ハンディがある訳です。そんなことは知りませんから、ついつい無理をしていまします。

その結果、折角の下請け仕事も休業状態が多くなり、これも結局は泣く泣く廃業になりました。

ずっと感じて来たことは、何か物事がうまく行き始めると、必ずそれをぶち壊すような試練に遭遇することでした。

命盤の「福徳宮」は陰徳の行いから神仏からの享受を授かることを観る宮でもあります。私の場合ここが「破格」ですから、前世ではどうやら善い行いをするどころか、悪い行いが多かったのかも知れません。そのために今世ではやること成すこと邪魔が入るようなツケが回って来ていたのかも知れません。

そんなことに気付かずに、この人生も私は自棄に成り、他者に八つ当たりの人生を送って来ました。

本来の私の「福徳宮」は【化禄】が有り、人に対して慈悲の心で満たされるはずでしたが、【同象自化】や対宮からの【向心力D】で福徳宮は多重破格に成ります。つまり【化禄】の作用が後天的に損なわれる訳です。

この人生も根性の悪い人間として人に嫌われ、自暴自棄になり恨み辛みで生きるところでした。最後には自殺で幕を閉じたのかも知れません。

しかし、「生年四化」は一生無くなるものではありませんから、活用しようと思えば一生涯に渡って活用できる星でもあります。それに気付くことが大切です。


さて、欽天四化でこの大限の健康運を観るとけっこうな大凶です。ただし吉にもなっているので回復も見込める訳ですが。

腰痛を治すために、あちらこちらの整形外科や整体、治療院を訪れましたが、何処でも症状は改善せず、毎日が仕事も出来ずに痛みとの戦いでブラブラしている日々でした。生活はたちまち困窮し家庭内は重苦しい空気で満たされていました。

腰痛は激しくて、寝返りも出来ずに、トイレにも伝い歩きで、そっと忍び足で行きます。笑っても咳をしても飛び上がるほどの痛みに神経はボロボロ状態でした。でも、激しい腰痛であっても顔色は良いしやつれたりして居ませんので、他人からは怠けているとしか思われません。

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何処の病院でも原因がはっきりせずに治療は薬と牽引です。

そんな時には何かの祟りなのかとマジでそう思いました。

気功や針灸も効果は無く、噂を聴いては遠方の有名な先生を訪ねても効果は皆無。

しかし、1年以上経過した頃に、ある脳外科の先生の処に腰痛とは別の症状で診察に行った時でした。

腰痛のことを話すと、先生は腰を診察してくれました。

MRIなど、いろいろな検査もしてくれました。

その結果、「第五腰椎分離滑り症」と診断されました。

いろいろな整形外科に行ってレントゲン検査なども多く行いましたが、何処でも原因は特定出来なかったのです。

脳外科の先生は、原因は「生まれつき」ということ、治すには徐々に背筋と腹筋を鍛えればOKというのです。

そんなに簡単な事だったのです。

実は、この大限の健康運は飛星派でも一応「大凶」しかし「大吉」でもありました。つまり「吉凶混濁」です。

年運では、39歳(巳)、40歳(午)、41歳(未)の三年間が大凶に等しく、ちょうど家電メーカー修理下請けを始めた時に重なります。

重量物を扱う時期と健康運が大凶の時期が一致していました。

このように運勢が大凶の時期と行動の時期が一致することは、よくあります。

つまり、悪いことが起こる時は、そういう時期に不向きなことを始めたりするのです。

そして吉運が巡る頃に症状が改善できたり、別の医者に行って原因が特定されるのです。

これらは、すべてシナリオに仕込まれたものと感じます。


この健康運が吉運に転ずる頃に、私は20年間ほど続けた自営業をすべて辞めて新聞店に勤務し始めます。

最初は痛い腰をいたわりながら歩きました。

しかし仕事で毎日何万歩も歩き回ることになると、背筋と腹筋が自然と鍛えられて行き、その結果は長年悩まされ続けた腰痛は完全に消失してしまいました。


さらに、新聞店勤務してからは健康にも自信が付き始めて、ジムに通い筋力トレーニングに励み始めます。

この時期が第五運の大限が変わる時でした。

第五運に入ってからトレーニングに励むようになり、身体は筋力逞しく変貌します。これまでの人生とは身も心も大きく変わるのです。

さらに桃の花が開花するような第五運になるのです。

そのことについては次回のblog「第五運」で記述します。


■父の介護と死

私の店舗兼自宅を一緒に工作してくれた父は、母が脳卒中で倒れてその看病もあったり、私の作りかけの家を完成させなければ成らなかったりと心労は限界にあったと思います。

その結果、父は急速に認知症が進み、私の家を完成させて3年後には自立生活が出来なくなってしまいました。母も半身不随です。

当時は現在のように介護制度が出来ていない時代でしたから、両親を自宅で介護するか、老健(老人保健施設)で三カ月看て貰うかの方法しかありませんでした。訪問ヘルパーも介護福祉士などといった制度も無い時代でしたから。

私自身も腰痛などで自営業の仕事を頻繁に休んでいる状態で、家族も幼子三人で妻は店番と収入も少なくなってジリ貧の時でした。財運も凶運の時期です。


両親が自立生活は出来ない状態ですと、実家の部落の行事や活動に息子が出て行かなければ成りませんでした。そういう封建的な時代です。

私は五人兄弟の末っ子ですが、成り行きで最後まで実家に残っていたために、長男のようなことをやるように成ってしまいました。

親の介護も実家の部落の付き合いも、そして私自身の住居の部落の付き合いもしなければ成りませんでした。(田宅宮に地劫)


これでは、仕事などしている暇は有りません。

またこの期間では、両方の部落で次々と老人が亡くなって行き、一年に何回も葬式をやりました。当時は現在のようにセレモニーの業者も無い時代です。

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葬式は何処の家でも自宅で土葬の時代でした。

30歳代でも、私も葬儀委員長もやりました。土葬のための墓穴掘りも何回もやりました。

土中から出てきた人骨を丁寧に並べたりもしました。前に亡くなった人が埋まっている所を掘る訳ですからね。

現在の皆さんがこの話を聴けばまさにオカルトの世界かも知れませんね。


父親は認知症が酷く成り、ついには寝たきりの植物状態になってしまいました。実は植物状態になったのには理由があります。

認知症が激しくなった時に異常な暴力行動に出るように成り、困り果てた通所の老人施設(当時は今の施設とは制度が異なる)で強い向精神薬を投与して、そのまま動かなくなってしまい、呼びかけにも反応しない植物状態になってしまったのです。

そのようになった父を自宅で素人が介護は出来ません。

結局、父は入院することに成り三年ほど寝たきりで病院で過ごしました。

その間の医療費は私自身では到底賄えません。

(田舎の田畑も処分しても医療費に当てました。その結果、私は実家を相続しましたが得る財は有りません。朽ち果てた実家の固定資産税に長年悩まされることになります)

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医療費の工面を兄たちにも相談しました。二男(兄弟宮に【化忌】の兄)は快く協力してくれました。しかし長男(財帛宮に【化忌】の兄)は嫌がりました。この長男は他の事でもお金を出し渋ることが多かったです。

「生年四化」の作用は面白いように作用しますね。

親の介護の三年間で私は兄たちに対して苛立ちが募りました。しかし、今になって思うと二男に対しては悪いことをしたと思っています。

今は二男に感謝しています。

兄弟宮と命宮の「串聯B」ですね。一度は切れても戻れるとも云えます。この場合の【必定】は「串聯」で最悪の事態は避けられたとも云えます。

父親が植物状態になった三年間は、母も半身不随で手間が掛かりました。

父親がこの大限で亡くなりましたので、残った母を私の家に同居させましたが妻や娘は嫌がりました。それは高齢の母が不潔に観えたせいもあるでしょう。

仕方なく私は自宅の敷地内にミニハウス4.5帖を建てて、そこに母に住んで貰いました。しかしプレハブ小屋では暑さ寒さが厳しく、母に申し訳なく思いました。何とかしてやりたいと思いましたが貧乏状態でしたので何もやってやれませんでした。

(でも離婚して、母を連れ出して一緒に住むようになった時には、母の喜ぶ顔が見られて嬉しかったです)


両親を観た三年間は、私自身の家庭も崩壊に向かいました。

妻からは「なんで末っ子なのに、こんな目に遭いながら面倒を看なきゃ成らないの?」と責められ、元々夫婦仲も良くない訳ですから増々決別に向かって行きました。

この期間の私の「大福徳宮」は、イライラの象意と観ます。

【自化B】が大田宅宮と大福徳宮で串聯です。家庭の事でイライラと観ても良いです。どちらの【自化B】も「生年B」をマイナスさせます。この大限では家庭をマイナスと観ても良いです。


■不倫⇒離婚

第四運も終わりに成る頃には、健康運も吉に転換し筋力トレーニングの効果もあって身体は逞しく変貌します。それと同時に活動的になってきて、これまでインドアの生活だったものが、アウトドア派に変わって行きました。


(運勢の変わり目は、本のページをめくるようにストンと変わるものではありません。大限などの変わり目から変化が出ますが、早めに出る場合もあれば境目を過ぎてから変化が起こり始める場合もあります)


会社務めでは同僚が居ます。女性の同僚も多く、姚花傾向が強まります。

(奴僕宮や兄弟宮に【化科】【化禄】が巡る時は基本的には人の縁が出来やすく姚花の傾向も出ます)

結婚して直ぐに家庭内離婚みたいになってしまった生活が、出会い運が巡るのですからウキウキするのも無理はないでしょう。

妻にも出会い運が巡ります。

(妻の命盤も姚花の強い命盤です。結婚相手は必ず因縁の関係です

互いが、それぞれの出会い運で翻弄される期間が始まるのです。


妻も自営業廃止でパートの仕事に何十年ぶりに家の外に出ます。

互いに桃の花が咲き始めました。

そんな時に私にも妻にも大きな事件が起こりました。

どっちもどっち、という諺が有りますが、そんな出来事が互いに起こったのです。

離婚するときというのは、互いの「夫妻宮」が凶に成る時期が一般的です。

そして離婚ということになって、第三運は終わりました。


この大限をまとめてみますと、大限「官禄宮」は寅の宮で変化変動が多くなりました。よく寅と申の宮が良くないと云われますが、そういう事かも知れません。

夫婦仲が増々険悪になっていきました。大限「夫妻宮」に【自化D】ですし、飛星派でも凶運です。

家庭内も寒々した状況になりました。親の事、実家の事では苦労の多い時期でした。大限の田宅宮や父母宮は凶運期です。


単純に命盤を観ますと、大夫妻宮(大限の夫妻宮)に【自化D】で夫婦関係、配偶者の事では大凶です。

大奴僕宮も悪いです。欽天四化の「六線法」では【兄友ライン】として生死も含め災難要注意の象意です。

大田宅宮には【化権】で本来は住居や不動産を必ず取得することが出来る時期でもありますが、【同象自化】で手にしても失う意味も有ります。

「串聯」していれば【必定】は避けられると云われていますが、そうとも言い切れません。この時期に私は離婚に伴い三人の娘のためも考えて、自宅を妻に無償贈与しました。

母子四人は自宅に残り、そして私は母を連れてアパートへ引っ越しました。

母の物だけを持って、まさに裸一貫とはこのことと思います。

冷蔵庫や洗濯機も無く、貯金も無く、一からの出直しでした。

幸い新聞店勤務によって毎月少ないながらも固定収入が得られるようになったのは有難かったです。


そして、この第四運は終わりました。


次回は、第五運です。

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